うつ病になったという自覚は当時はありませんでした。
当時、私は社会人3年目といわゆる「節目」の頃でした。始めは、目が覚めてもベッドから身体を出す事が出来ないという症状が現れました。
当時はただの怠けだと考えていました。
怠けとうつ病は全く違う
月の残業は平均40時間と、通勤に往復3時間かかり、なかなか睡眠時間を取れなかったために起こった症状だと考えていました。その日は急遽でしたが年休を取得しました。身体は元気なのに、仕事を休んでしまったという事実が余計に苦しくなり、仕事以上に疲れる1日を過ごしてしまいました。
そんな症状は始めは月に1度あるかどうかだったものが、月に1、2度起こすようになってしまいました。自分の身体であるにも関わらず、私の言うことを身体は聞いてくれません。
そんな折、年休を取ってしまった日に職場の上司から電話がかかってきました。電話に始めは気がつかず、ふと着信履歴を確認すると「64回」という表示が書いてありました。一瞬に血の気が引きました。
「怒られる」という恐怖しかありませんでした。
案の定、私は電話口にて叱咤を受け、翌日も怒られてしまいました。「最近の若い者は」と何回も言われてしまい、私もその通りだと考え、それ以来年休は取らないようにと気を張り詰めていました。上司にはよく怒られました。
「雑談が多すぎる」「業務中に他の作業をするな」等、まだまだ沢山あります。教育担当の先輩への相談、勿論あらかじめ先輩へは連絡し時間を確保していても、「雑談」と言われ注意されました。
うつ病を改善し再発防止の為に
業務の空き時間に、業務の改善案を作成していたものを「他の作業」と言われ注意をされました。上司の注意に対し、私は全てを「理不尽だ」と捉えてしまったのが身体への負荷になってしまっていたようでした。
「業務の改善案」を使って、新人なりに努力をしようとしていたものを「意味不明」と罵倒されるだけでなく、後々になって「上司が作成した業務改善案」として提出されているのを見ました。
新人の努力を15年目が取っていくのです。私は憤り以上に、それを跳ね返せない力不足を嘆いてしまいました。結局、繰り返される上司からの「圧」から、とうとうベッドから動く事ができなくなってしまいました。
また何十回と電話がかかってくる、大勢の前で罵倒される、出社しなければいけないのに、私は涙を流すことしかできませんでした。2日会社を休んだのち、家族に付き添われて出社し、社内の「保健室」へと行くことになり、そこでうつ病ではないか、と言われてしまいました。
家族に付き添われているけれど、会社の最寄駅で嘔吐し、一人では歩くことができず「保健室」に寝かされ涙を流すことしかできなかったからです。現在は休職の後に退職に、心も健康に戻りました。
退職後に事情を知る同期と当時を思い返すと「私自身に落ち度はなんじゃないか!」と、笑い話を何度もしてもらえ、私自身も前向きに考えれる「ようになったことが完治に繋がったと思います。どのような場所にも「卑怯な人」というのは存在すると思います。
今後はのらりくらりと躱す術を身につけ、給料以上の仕事には取り組まないという姿勢を貫けば再発しないと思っています。