宇津井優一の鬱ブログ

うつ病になったらこうなる

うつ病は幼児体育指導の会社に勤めていた時に発症!

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20年前に患った、うつ病体験を投稿させて頂きます。

新卒で初めて幼児体育指導の会社に就職しました。

関東県内の幼稚園・保育園で授業として園児に体操指導をしたり、園のホールを借りて体操教室を運営し、降園後の園児を対象として体操指導をしたりといった事業活動でした。

元々、スポーツが得意な事と子供好きな事が重なり、この職を選びました。

毎日の指導は体力勝負でしたが、充実感が得られる活動でした。

しかし、派遣会社の事務所が移転する事になった事をきっかけに状況が一変してしまいました。それまでは、指導後会社に戻るのに1時間圏内の移動でしたが、事務所の移転後は、2時間半を要してしまう場所になりました。

指導後は体力ギリギリの状態で会社に戻って報告書や納金処理、イベント企画会議などを行いました。会社の事務作業が終わると、また2時間かけて自宅まで帰ることになる為、電車で寝過ごす事もだんだんと増えてきました。

事務所を移転して半年が経つ頃、それまで楽しかった指導先に向かう気持ちが疲れと共に憂鬱な気持ちに変化しました。

『病は気から』という言葉が示す通り、モチベーションが下がるとそこからは一気に悪い方向に進みました。指導に身が入らないので、怪我をしてしまう子供が増え、園長先生に注意され体操教室の会員はどんどん減っていきました。

事務所に戻ると業績の悪化で上司から怒られて改善書を作る作業が増えました。担当からは外され、担当指導員を補助する役に降格しました。

その補助指導員は、1日に1つの園で指導補助をするわけではなく、午前中は千葉の保育園、午後は神奈川の幼稚園という長い移動距離が加算されました。

運動会時期になるとパラバルーンの演技を練習する為、事務所からパラバルーンを持って行きます。

1つのバルーンは重さが約5キロあります。

園児数に合わせてバルーンの個数が増えるので、園の規模が大きい程、補助指導員が運ぶバルーンは増えます。午前中に3つのバルーンを持って満員電車で移動し、指導後にまたそのバルーンを持って神奈川に移動する事になります。

移動と指導で疲れた体にムチを打ちながら、総量15キロのバルーンを事務所に持って帰りました。

翌日も同じ繰り返しになりました。事務所の移転後から1年が過ぎる頃、朝起きると恐怖の始まりと同じ感覚に襲われて自然と涙が出てきました。体力と精神力が共に限界を感じたころ、事務所に向かうはずの自分の足が緊張と動悸で痙攣するようになりました。

50m進むごとにこむら返りが起きました。動悸から来る吐き気と共に事務所に帰ると、上司からは『お疲れ様〜』の言葉に変わり『こんなにサボりながらチンタラ帰ってくるから、担当から外されるんだバカ!』という言葉をぶつけられました。完全に心が壊れた瞬間でした。

その日に辞表を書き、涙を流しながら社長に提出している光景を周りが見ていました。今、思えば有給も使えないブラック企業でした。しばらくは、朝起きると涙が出て体が重く感じる日が続きました。

精神科医を受診するとうつ病と診断されました。投薬治療と睡眠を1週間繰り返した後、ブラック企業の見分け方と辞める選択肢がある事を医師から教わりました。人生について、『生きる』ことと『活きる』ことは別々に考えた方がいいと私は思います。

好きを仕事にすることが幸せに感じられますが、逆に言えば好きを仕事にした途端、好きと感じられなくなってしまう現象もあります。私は現在、全く別の職種についています。

その職は法律で休みが確保されていますので、しっかりとプライベートの時間が作れます。

その時間の一部を好きな事に使うようにしました。

御縁があってボランティアで地元の保育園で子供達に体操指導をしています。ライフワークバランスがとれて、生活が再び楽しく感じられる様になりました。

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