大好きなアパレル会社の、専門職につき仕事も順調。
ただやはり甘くはなく、出社時間の2時間前に行き6時までの定時はどこへやら夜中の11時をつぎることなんてざらにありました。
それでも上司や取引先とも関係は良好、辛いのは体力くらいだと思っていました。
ある夜、寝つけないな、、、とそんな日もあるかな。
と思い始めたのが私が精神的な「うつ」という病気と闘わなければならなくなる誰にでもある寝不足からでした。
アパレル店員の苦悩
眠れない日がつづきもう、体力の限界だと病院を受診し主治医に話をしていると、主治医の質問に答えられない質問が出てきました。
あなたは今何が楽しいですか?
この質問に答えられなかったことに衝撃を受けました。
趣味は大好きな洋服の仕事!だと思っていましたが身体はその大好きな仕事で疲れはて、楽しいから違うものへと変わっていました。
「忙しい、責任感、プレッシャー、低賃金」もちろん、休日は動く余力などありません。
他に趣味もありません。
私がその日主治医からメンタルクリニックへの紹介状を書いてもらい重たい気持ちで後日メンタルクリニックの扉を叩きました。
強迫観念と不眠症からくるうつ病
何問かのマークシート形式の質問に答え、診察の前の問診、2時間くらいかかったんじゃないかと思います。
そんな時も私は頭の片隅で「あれもやらなければ、書類が未完成だ、早くして」と思っていました。やっと診察の順番が来て主治医からは軽度の強迫観念と不眠症、「うつ」と診断されました。
休むのが1番だ。
というメンタルクリニックの先生と待って待って、私は忙しい。
と思う自分。悩みに悩んで私は会社の上司に診断書と休暇願いを持って行きました。
私が一言目に発した言葉は「申し訳ありません」私の中では片付いていない仕事の事。
これから回ってくる予定だった仕事の事。
そして、それが周りのだれかに割り振られ時間を圧迫してしまうと言うことで脳みそはいっぱい「怒られる」「せっかく部署の中手も仲良くしてもらっていたのに嫌われる」という恐怖しかありませんでした。
そして、それが上司の一言目で私は「終わった」と思いました。「今の仕事の事も、今後の仕事の事もあるので会議をしましょう。」もう、責められるしか想像できなかった私はバクバクなる心臓の音を押さえるためにメンタルクリニックで処方された頓服の安定剤を飲み会議に出席します。
もちろん、座りません。
色んな罵声を浴びるだろう。
皆忙しいんだ。
最悪の事態しか頭をよぎりません。
しかし現実は違いました。
ブラック会社から言われた意外な言葉
入社して、1年間は指導員がつきます。
その指導してくれていた上司から「ショックなのは分かるけど座った方が身体は少し休まるよ?」と着席を進められた。
どちらかというともう頭が真っ白、お先は真っ暗なパニックの私をよそに会議は始まり、頓服の効果もあり誰がいれてくれたのか分からないお茶をのみ少し落ち着いた頃に「これからの事だけど」と話をふられ硬直しそうになるも、頑張らなければと返事をすると上司から
「休暇はとらないで」と始まった。
内心、そうですよね。
と謎の安心感。
しかしここからが予想していたものと違いました。
私たちの仕事は会社に出社しなくても出来ることが沢山ある。
持ち出せない資料が必要なときは誰かにもってきてもらうか気分転換に取りに来ればいいし。
納品の時だけは頑張って出社してもらわないといけないけど、取りあえず今の仕事量が1/3になるように3日間の有給消化という形でゆっくり休んでもらって、3日後来れそうだったら会社で身体が辛かったら電話でも大丈夫なようにしておく。
もう仕事の流れは覚えているし、在宅でも問題ないと思うから少しは働かないとお給料が出なくなるからそこはクリアを目指して頑張ってみて、ダメだったら病気休暇をとりましょう。
上の人には会議で共有してるから問題なく上に伝えるよと言われました。
想像とはかなり違う展開になり、私は3日間のお休みの後在宅に切り替えさせてもらいました。
在宅で適度に仕事をしながらうつ病回復
定時の間は電話もかかってくるし対応もするけど定時を過ぎれば上司にバトンタッチという生活が半年ほど続き。
誰かに頼るまた、ピンチヒッターで在宅から出社に変更し働ける迄に回復しました。
診断を受けたときは、悪いことしか頭をよぎりません。
でもそれは取り越し苦労でした。
チーフの言葉に「部下がこんなに追い詰められるほどに仕事を管理出来てなくて申し訳なかった」という言葉が今も忘れられません。
私は数年後寿退社しましたが、コロナ禍で人手が足りない今は外注としてお手伝いをしています。
頑張りすぎはよくないですが頑張っていたから助けてもらえたんだと思います。
今ではうつ病も回復し自分の性格も把握し上手に手抜きをすることが出来るようになりました。