幼少期から人の感情に敏感で、気分の浮き沈みの起伏が激しい性格でした。
「私は誰からも必要とされていないんだ。」
夜になるとそう思う事が特に多く、少しでも悲しい事が起きると「もうだめだ。」とマイナスの感情を抱いてしまう方でした。
しかし、仲の良い友人に恵まれてアルバイトの職場環境も良く、励まされ支えられながら生きていました。
きっかけは就職
大きい企業への就職が決まって、アルバイト先の方からも笑顔で送り出して頂いて新しい生活が始まりました。
私も念願の新生活に心を躍らせて、「ここから新しく生まれ変わるんだ!」とまで思っていました。
自分で言うのもなんですが、教育担当の先輩からも期待されて飲み会にも誘っていただきプライベートな話をするまで仲良くさせて頂いていました。
「私はここでうまくやっていくんだな。」 期待に応えたい、頑張りたい、そう思いながら働いて新しいことを学ぶ日々。
とても楽しく、充実していました。 人と関わるのがこんなにも楽しいのかと思うほど、今思えばとてもとても浮かれていました。
わからないことがあっても責めず、失敗も咎めずに次への活かし方を教えてくれる先輩を尊敬しキラキラと輝いた社会人生活を楽しんでいたのです。
先輩女上司の被害妄想
私は女性で、教育担当の先輩は男性でした。
男性の多い部署に配属され、私はそのことを全く気にしていなかったのですが、どうやら私が"男性にちやほやされている。"と不信感を女性上司の社員に抱かれてしまったようです。
"今まで私が一番若かったのに"とでも言いたかったのか、年齢の話もよくされました。
それでも負けたくありません、私はその女性社員と仲良くなりたくて必死でした。
たとえ、どんな否定的な言葉を投げかけられようが我慢。
顔を見るたびに怖さで足がすくんでも、我慢。 我慢、我慢、それを繰り返してしまったのです。
家に帰って涙が止まりませんでした。
我慢することをやめればよかったと後悔してます。
限界がきた私は職場で倒れてしまいました。
段々と正常な判断が出来なくなってきていたのはわかっていました。
休憩中に精神安定剤を大量に服薬し眠り続けてしまったり、涙が止まらなくなったりと。
そして倒れた日は、このまま電車に飛び込めば楽になるのかな、とまで考えていました。
倒れた時のことは詳しく覚えていませんが、カッターナイフで己の体を傷付けて消えたいと泣きながら叫び倒れたそうです。
精神安定剤を服薬していたとのことで警察官まで駆けつけて、本当に精神安定剤なのかと確認をされていたらしいです。私はそのまま救急搬送されました。
それからの闘病生活
倒れた日から闘病生活がはじまりました。
母がつきっきりになり、家の中から刃物が全て消えました。
後から聞いたのですが、倒れた日に「あいつ(私のこと)、吐きながら倒れたんでしょ?(笑)」と女性社員はおもしろおかしく話していたそうです。
それから何度もリハビリとして外に散歩をするたびに倒れ、酷い時はまた救急搬送されました。
年齢を言うと二十代前半です。 若い時代を消費している気がしました。
なぜ自分が、と言うより本当に自分に価値を感じられずに自分がただ情けなく、自己嫌悪しがちな性格は益々悪化しました。
その時に支えてくれたのは友人と家族でしたが、はじめて通院したメンタルクリニックの先生でした。
生活習慣の見直しと、周囲の優しさに気づくこと
完全には立ち直れていませんが、良くなったのは事実です。
それはメンタルクリニックの先生に勧められた生活習慣の見直しが大きかったと思います。
毎晩夜更かしをしない、リフレッシュする時間も大切、ゆっくり食事を3食とる、など。
今では倒れることもなく、アルバイトからですが社会復帰をしています。
そして夢を持つことも出来、かつての私からは想像もできないほど明るくなれました。
とても苦しい経験をしましたが、おかげで自分とたくさん向き合えました。
友人の優しさに包まれていたことにも気付けました。