脱うつ病は真面目で完璧主義を捨てる!マイナス思考な上司に翻弄された体験談!

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幼いころから人一倍真面目で完璧主義なだった私でいつでも褒められる立場で居ないといけないという気持ちで過ごしており、「うつの芽」のようなものはこの頃から育っていたのだと思います。

その気持ちを持ったまま大人になり、就職をした時に自尊心がことごとく打ち砕かれる事となりました。

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マイナス思考な先輩

会社では営業職に配属され男性の先輩に帯同して取引先を回るようになり、移動中や昼食時も一緒にいる為必然的にその人と話すことが多くなっていたのですが、その先輩がとにかく愚痴の多い人だったのです。

当時聞かされていた愚痴は

・希望の業界へ入れた事を喜んでいる私に「この業界は未来がない」

・売上げが取れないと社長に詰められるし、各々で売上げを取らないといけないので誰も助けてくれない。社員同士で蹴落とし合い、お互いの悪口を言っている

・クビにされる人がいるとすれば新人の私からだろう

等々この会社に入社したことは間違いだったのかと思わせ、やる気を削ぎ社内で孤立するよう仕向けられたような内容でした。

社会人デビューして間もない私は全て真正面から受け止めてしまったのです。

やがて一人で営業先を回れるようになった後も上記の愚痴を気にして他の先輩たちに業務について質問をすることを躊躇ってしまい、売上げが伸び悩んでいても相談出来ずにいました。

そんな形で仕事をしていても売上げが伸びる訳もなく、自信はすっかり失い暗い気持ちのまま2年が経過しました。

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うつ病発症の瞬間

ある日上司が私に「なかなか売上げが取れていないみたいだがどうしたのか」と声をかけてきました。

部下を心配しての一言だったのですが、これがうつ病発症のきっかけとなってしまいました。

私は数字が取れていないことを責められたと思い、誰も協力してくれないと刷り込まれているため悩んでいることも打ち明けられず、会社が私をクビにしようとしているのだと恐怖を感じました。

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うつ病診断へ

その頃から自分の意思とは関係なく、目の下がピクピクと勝手に動くようになり、夜も寝付けずやっと眠れても1時間半ごとに目が覚めてしまうというのが1か月半続き、ようやく心療内科を受診し「うつ病で休職が必要なレベルだ」と診断され、同時に投薬も開始しました。

自分のような人間を休職なんてさせてもらえるのかと思いましたが、会社からはとりあえず3か月間休んでみようという判断が下されました。

休職し日々の業務から距離は置けましたが、気分が晴れるわけではありませんでした。

自分がこうなっていることで会社に迷惑をかけている、今頃みんなで私の悪口を言い合っている等々、マイナスな感情が一日中駆け巡りました。

薬の副作用も激しく、視線を動かす度に起こる眩暈、吐き気、立ち眩みもひどくトイレ以外は一日中ベッドの上から動けず、ものすごく強い磁石で下から引っ張られているような感覚に陥っていました。

やがて「自分は死んだほうがいい」と思うようになり、自宅の窓から飛び降りるイメージが一日の間に何度も浮かび、その度に泣き叫ぶという毎日を送りました。

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セカンドオピニオンへ

2ヵ月ほど経っても症状が変わらないので、別の心療内科を受診してみることにしました。

以前の病院は薬を出すことに重きを置いている感じでした。

こちらの先生は患者の話に耳を傾け、ゆるく流せるような話し方をしてくれる方で、その先生と話す度に気持ちが軽くなっていくのを感じました。

自然と打ち解け、いつの間にか心の壁が

それからの回復はとても早く、期限と言われていた休職から3ヵ月後には無事に仕事へ復帰出来ました。

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自分を客観視出来るように

復帰後のちに上司と話しましたが、男性の先輩が愚痴を言っていた内容は事実とは異なり、上司からは逆に私が自分から孤立したがっているように見えてしまいどう手助けしてあげたらいいのか分からなかったと言われました。

それからは私も他の先輩たちを頼ることを覚え、売上げもみるみるうちに上昇していきました。

うつ病の診断から1年が経った頃には薬も止めることができ、自分の弱みも見せた上で人づきあいが出来るようになったと思います。

私がうつ病を経験し学んだことは、辛いときは素直に人に頼ってもいいという事と、自身がマイナスな方向へ引っ張られそうな人とは距離をとることが大事だという事です。

そして何より自分と相性のいい医師に巡り合うことが快復へと繋がると思います。

また、今目の前で起きていることは本当に正しいことなのかという目線も持つように心掛けるようになりました。