私は幼い頃から、どこか空気の読めないところがある子供でそんな私を気づかってくれた大好きな先輩の旅立ちでうつ病になりました。
違和感を持ったのは高校生の時でした。
自傷行為で体を叩いたり頭をぶつけることも多々ありました!
今回はその時の体験談をお話ししたい思います。
迎えた大学、そして事件
大学に無事受かってからは念願の一人暮らしを始めました。
私の家は正直あまり金銭的余裕はなく、それでも自分を大学へ入れてくれた親には感謝しかありませんでした。
そんななかで、慣れない一人暮らしを始め、自分のことは全て自分でやり、責任をもたないといけなくなっていきます。
元々朝がかなり苦手だった私は、段々と遅刻が多くなっていってしまいました。
遅刻時間が伸びると、自然と自主的に休んでしまうことも増えていきました。
本当に怠惰に聞こえますが、当時からどうしようもない理由があったんです。
周りの友人達は優しく、皆私を励ましてくれましたが、自分としても一念発起しようとしてもなかなか遅刻が治りませんでした。
親に申し訳が立たず、どうして学校に行けないんだと自分を泣いて責める日々が続きました。
そんなある日、悪い話が私に届きます。
当時4年生で、自分自身もかなりお世話になった大好きな先輩が、就職に失敗し自ら命を絶ってしまったのです。
その話を聞いて、私はとても信じられませんでした。
先輩の死で、自分の中に新たな選択肢が産まれてしまうのを私は感じていました。
つまり”自らで自らの命を断つ”という選択肢でした。
自傷行為する心理
朦朧とする毎日の中狂ったように自分を傷つけてしまいました。
いわゆる自称行為というものです。
自傷行為というのは、自分の体の一部を意図的に傷つける行為です。
例えば私は針などを自分の体に刺す、自分を叩く、噛む、頭を壁にぶつけるなどがありました。
私はあの時こんなことを思っていました。
消えてしまいたい
自傷行為の背景に消えてしまいたいほど辛い状況がありました。
でも人に知られたくないという気持ちや、自分自身の辛い気持ちに直面したくないという気持ちがあります。
例えば本当ならこんなはずではないと何度も思いました。
SOSを出せない
幼少期に受けた空気の読めなさから軽いいじめにあいました。
この経験から人への信頼ができなくなったり、助けを求めることができなかった。
というよ性質が変わり、その後の人生において自傷行為に走ってしまったと思います。
身近になった自傷行為
近年SNSの普及などにより、日頃から自傷に関する話題や写真、映像が掲載されているウェブサイトを閲覧していたり、憧れているアーティストや芸能人が自傷のことを告白しているといった、一種の「自傷肯定的な文化」が存在している。
自傷することに対する「心のハードル」は低くなっていたと思います。
こういった周囲の環境も一種の近因。
私は不安何もかもがぐちゃぐちゃに壊れてしまうような気がしました。
自傷行為の4つの原因はこちらの記事から、
真っ暗の部屋 そこから出るきっかけとは
真っ黒な世界から抜け出したい。
でも大学にもほとんど顔を出せず、そんな自分を責める悪循環が生まれていました。
電気のつけない部屋で、光るパソコンの画面を見ながら、どうやったら自分の存在を消せるのかということばかりを考えていました。
方法を調べていると、自分がいなくなった後の処置に多額の金銭がかかってしまうことを知り、先述した通り家に余裕が無い私は”如何に金をかけず自分の存在を抹消できるか”ということを今度は考えるようになりました。
ずっと悪い悪循環のループに捕らわれていたのです。
そんなループから抜け出すきっかけを作ってくれたのは、結局のところ友人でした。
何度も何度も家まで来て、失礼な態度をとっても顔を見に来てくれる。連絡をなかなか返せない私を許容してくれる存在でした。
そんな友人に、ある日言われるのです。「一緒に行くから、病院行ってみないか?」と。
私達の周りに精神障害を持っている友人は結構いたので、私ももしかしたらそうなのではないかと思い立ち、精神科を受診するに至りました。
部屋からの脱出、そして現在
その後、結局自分は精神障害とうつ病があることが分かりました。
コミュニケーションが上手くいかない、朝起きれないのもその障害によるところが多く、それによりうつ病になってしまっていたのです。
そこから、家族に病気と障害のことを伝えると、嘘のように体が軽くなりました。
無理していたから当然かもしれません。
大学にも支援をお願いし、大学・家族・友人・その他たくさんの人達の助けを借りながら、私は無事大学を卒業することが出来ました。
今でも悩むことは多々ありますが、障害とうつ病と上手く付き合っていながらなんとか今日まで生きています。
「死にたい、と思うのは同じくらい生きたいと強く思っているからだ」と気づいてからは、死にたいと考えることも無く、生きていたいと考え前を向いて過ごせるようになりました。
周りの理解や良い環境がなければ、私は今もあの暗い部屋にいて最期を迎えていたかも分かりません。
今はただ、あの時にお世話になった人達に少しでも恩返しをするために、1日1日を前向きに生きています。
一人で悩まないで!厚生労働省が提供するサイトはこちら。