奥浩哉の新作『還暦姫』を見かけて、「なんだ、この表紙は!?」と二度見した人も多いはず。『GANTZ』で命懸けの戦闘を描き、『いぬやしき』で老いと正義をぶつけ、『GIGANT』では想像を軽々と飛び越えた作家が、今度は還暦間近のオタク男性6人を主人公に選んだ。しかも、仲間のうちの1人が若い女性になるという。予告だけで頭の中に疑問符が行列を作る漫画だ。
そこで気になるのが、「還暦姫は本当に面白いのか?」「設定だけの出オチでつまらないのでは?」「奥浩哉の過去作品と比べて何が違うのか?」というところ。作品の紹介文だけでは、面白さの種類も、読んだときに感じる違和感の正体もなかなか見えてこない。
結論を先に言うと、『還暦姫』は誰にでも無条件で勧められる王道漫画ではない。そのかわり、奇抜な設定を生々しい人物描写で成立させる奥浩哉の持ち味が濃い。笑っていいのか迷う瞬間が、気づけば次のページをめくらせる。そんな、ちょっと厄介で妙に魅力的な作品になっている。
本記事では2026年11月時点の単行本2巻までの情報と確認できる読者レビューを踏まえ、評価される理由、つまらないと感じるポイント、そして『GANTZ』『いぬやしき』『GIGANT』『変〈HEN〉』との違いを整理する。大きな結末には触れず、序盤の展開については必要な範囲で紹介していく。
還暦姫は面白い?読者の評価と人気の理由
還暦姫はどんな漫画?まず設定が普通じゃない
物語の舞台は東京都内のシェアハウス。そこに暮らすのは、全員が未婚で子どももおらず、還暦を意識する年齢になったオタク男性6人だ。仕事を持ち、好きな作品について語り合い、食事を楽しむ。若いころに思い描いた人生とは違っているかもしれないが、彼らなりの居心地のいい毎日が続いている。
そこへリーダー格のテラさんが、飲めば望む姿へ変化できるという怪しい整形薬「NEOTYPE-16」を持ち込む。「この中の誰か1人が若い女の子になったら、生活が変わるのではないか」。発想がすでに危険だ。職場の飲み会でそんな提案が出たら、幹事がそっと会計に向かうレベルである。
ところが彼らは、その提案を冗談のまま終わらせない。誰が薬を飲むのかを決めるロシアンルーレットが始まり、ただのオタク仲間の共同生活が、予測不能な実験場へ変わっていく。重要なのは、この突拍子もない設定の直前までが、驚くほど生活感に満ちていること。平凡な日常があるからこそ、異常事態が強烈に映る。
2025年12月26日発売の「ビッグコミックスペリオール」2026年2号から連載がスタートし、単行本1巻は2026年5月29日、2巻は同年9月30日に発売された。2026年11月時点で既刊2巻。まだ作品全体の着地点を断言する段階ではないからこそ、読者が面白さと不安を同時に語っている。
高評価の理由① 一行で説明できるのに先が読めない
『還暦姫』の魅力は、あらすじが短いことだ。「還暦間近のおじさんが美少女になる」。たったこれだけで、普通の漫画を何本も紹介するより強い引っかかりが生まれる。しかし、本当に優れているのは、その先に自然と問いが増えていく仕掛けだ。
若返ったら本人の記憶はどうなるのか。仲間は以前と同じように接するのか。外で働けるのか。年齢や戸籍はどう扱われるのか。そして、見た目だけが変わった人間に、周囲は何を期待してしまうのか。非現実的な出来事から、やけに現実的な疑問が次々と顔を出す。
こうした問いは、単に「次は何が起こる?」というサスペンスとは違う。「もし自分の友人が明日、別人のような容姿になっていたら、自分は態度を変えないと言い切れる?」と読者自身の感覚まで揺さぶる。設定のインパクトだけではなく、その後に考えさせる余白があるのだ。
『GANTZ』で謎の黒い球や異星人を登場させた奥浩哉は、世界のルールを少しだけ狂わせることで、人間の本性をあぶり出してきた。『還暦姫』は戦闘をほとんど前面に出さない一方、この「ありえない状況で人間がどう動くか」という基本構造をしっかり引き継いでいる。
高評価の理由② 50代オタクの日常が妙にリアル
表紙で目立つのは個性の強いおじさんたちだが、読み進めると彼らが単なる記号ではないことに気づく。ファミレスで延々と続く趣味の会話、部屋に積まれたコレクション、気を使わずにいられる仲間同士の距離感。現実のオタク文化に長く触れてきた人ほど、笑うと同時に少しだけ身につまされる部分がある。
若者の恋愛や夢を描く作品では、50代の独身男性は脇役やお笑い担当にされがちだ。けれど本作では、彼らが最初から物語の中心にいる。「人生が思いどおりにならなかった人」としてかわいそうに描くのではなく、自分たちなりに楽しみを作り、案外満足して暮らしている人間として見せる。
だから、薬の提案が出る前の日常も案外読めてしまう。むしろ、あのまま彼らの食事や会話を眺めるだけの漫画でも少し面白いのでは、と感じるほどだ。この地味な幸福を先に描くからこそ、後の変化が単なる変身イベントではなく、失われるかもしれない日常として重みを持つ。
読者レビューでも、還暦世代のオタクらしさに現実味を感じたという声や、奇妙な設定なのに人間味があるという感想が見られる。フィクションの薬より、ファミレスにいるおじさんたちのほうが身近に感じられる。この絶妙な温度差が『還暦姫』ならではの強みだ。
高評価の理由③ 変身後よりも、変身していく過程が見せ場
一般的な性転換ものや変身コメディでは、ある日突然、完成された新しい姿になっていることが多い。ところが奥浩哉は、そこを簡単に飛ばさない。体調の異変が起こり、身体が少しずつ変わり、本人も周囲も「本当に起きているのか」と確かめながら日々を送っていく。
この段階的な変化を描けるのは、人体の質感や表情にこだわってきた作者の強みだ。単にかわいらしい女性の姿を見せたいだけなら、数ページで終わる話。しかし本作は、変化の途中にある不安定さや、周りの人間が観察者になってしまう気まずさまで描いている。
そこには奇妙な笑いがある。同時に、読んでいて少し落ち着かなくなる感覚も残る。「変わること」に夢を見る側と、「変えられること」を経験する側では、まったく違う物語になるからだ。読者はそのズレを楽しむだけでなく、ときには居心地の悪さとして受け取ることになる。
美少女への変化そのものは序盤の大きな見せ場だが、完成形を見せて終わりではない。見た目が変わった後に、日常の空気がどう変わるか。それこそが物語の本番になる。単行本2巻が示す方向も、変身したことの喜びより、変身してしまった後の人間関係に焦点が移っている。
高評価の理由④ 仲良し6人組の関係にヒビが入る緊張感
『還暦姫』が面白くなる瞬間は、怪しい薬が効いた瞬間だけではない。それまで同じ立場にいた仲間のうち1人だけが、外見によって別の扱いを受け始める。そのとき、友情を支えていた暗黙のルールはどう変わるのか。この設定に一番の物語的な力がある。
仲間内の冗談は、全員が同じ前提を共有しているから成立する。だが、誰か1人だけに周囲の視線が集中すると、昨日まで笑えた話が急に笑えなくなる。誰かを守りたい気持ちと、自分だけ特別な関係を築きたい気持ちが、同じ人間の中に同居する可能性もある。
このズレを、奥浩哉は大げさな説教ではなく、会話の間や目線、反応の違いで見せていく。特に「友達だった相手を、今までと同じ友達として見られるのか」という問いが効いている。見た目が変わっただけなのに、関係性まで変わるのだとしたら、それは誰の問題なのか。
普通の青春ラブコメなら、新しいヒロインの登場で物語が動き出す。『還暦姫』では、もともと仲間だった1人がヒロインとして見られ始める。ここが絶妙におかしい。初対面の美少女にドキドキするより、昨日まで一緒にオタク話をしていた相手にドキドキしてしまうほうが、何倍も気まずいのだ。
読者評価は高い?数字を見るときの注意点
実際の読者レビューにも好意的な反応が確認できる。コミックシーモアの『還暦姫』作品ページでは、確認時点で平均4.5、投稿数17件という表示があった。独特な設定、変身描写の迫力、仲間同士のやり取り、先の展開が気になる点などが評価されている。
ただし、この数字だけをもって「読者全員が絶賛」と言うのは早い。レビューの母数は大作に比べて少なく、購入者と未購入者では評価の傾向が変わる。平均点は時期やサイトによって変動するし、序盤への期待が高くても最後の評価まで同じとは限らない。
レビュー文を読むと、「この設定を考えるのはすごい」という感心と「ここからどう続けるのか」という不安が共存しているのが面白い。つまり、高評価の中にも無条件の安心感はない。むしろ先が読めないからこそ、面白さを感じている人が多いという印象を受ける。
作品を読み始める前に知っておきたいのは、星の数よりも評価の理由だ。爽快なアクションが好きな読者と、人間関係のねじれを観察するのが好きな読者では、同じ場面を読んでも印象が変わる。『還暦姫』の評価は、何を漫画に求めるかによって大きく変わってくる。
還暦姫がつまらない・気持ち悪いと言われる理由
理由① おじさんの生々しさが笑えない人もいる
『還暦姫』に対して「気持ち悪い」と感じる人がいるのは、作品の欠点を一言で片づけられる話ではない。人物の見た目、言動、欲望、そして距離感が、良くも悪くも隠されずに描かれるからだ。読者によっては、その生々しさがリアルで面白い。一方で、娯楽として読むには濃すぎると感じることもある。
特に、若い女性の容姿をめぐるおじさん同士の会話は、受け取り方が分かれやすい。登場人物の未熟さや滑稽さとして読むなら、皮肉の効いたコメディになる。ところが、その言動に身近な嫌な経験を重ねる読者にとっては、冗談に見えない場面も出てくる。
ここで大事なのは、「不快な人物が出る作品」と「作品そのものが不快な価値観を肯定していること」は必ずしも同じではないという点だ。作者が人間の欲望をあえてむき出しにして描いている可能性はある。ただ、その演出を好きになれるかどうかは別問題。苦手な人が無理に読み続ける必要もない。
作中のおじさんたちは、理想的な大人として配置されていない。情けなさも、身勝手さも、楽しそうなところもまとめて見せられる。きれいごとだけではない人間ドラマが好きなら刺さるが、穏やかな癒やしを求めて手に取ると、想像以上にクセの強い一冊だ。
理由② 性転換や若返りの設定が好みに合わない
性別や身体の変化を題材にした漫画が好きでも、『還暦姫』の描き方には驚くかもしれない。いわゆる「かわいい女の子になって楽しい毎日」という軽快な変身コメディとは、かなり空気が違う。変化の過程には身体的な不安や恐怖が伴い、周りの反応も常に好意的とは限らない。
身体が変わるということは、服や声だけの問題ではない。街で知らない人から向けられる視線、自分自身の身体との距離、以前の仲間から期待される役割など、生活全体に影響が広がる。だからこそ読み応えがあるが、笑いだけを期待していた人には重く感じられる。
また、本作の変化は現実のトランスジェンダー当事者の経験をそのまま再現したものではなく、架空の薬によって強制的ともいえる状況が生まれるSF設定だ。現実の性自認や移行の話と混同せず、作品の中でどう扱われているかを読み分ける必要がある。
この題材に興味がない読者へ、無理に「設定を受け入れれば面白い」と押しつけることはできない。反対に、外見と内面のズレが人間関係へ及ぼす影響を見たい人にとっては、変身の奇抜さ以上に気になるテーマが詰まっている。
理由③ 派手なバトルを期待するとテンポが遅く感じる
『GANTZ』の印象が強い人は、新作にも突然の命の危機や激しい戦闘、巨大な謎を期待するかもしれない。ところが『還暦姫』の主戦場は、シェアハウスと日常の会話だ。外から恐ろしい敵が襲ってくるより、身近な人間の表情がちょっと変わるほうが重要になる。
奥浩哉らしい大きなコマや、視線を誘導する間の取り方は健在だが、それが必ずしもアクションのスピード感につながるわけではない。何でもない会話にページを使う場面もあり、「早く次の事件を起こしてほしい」と感じる読者とは相性が分かれる。
ただ、この遅さには役割がある。関係性の変化は、派手な事件よりも小さな反応の積み重ねで伝わるものだ。相手への呼び方、言葉を選ぶ間、以前ならしなかった気遣い。それらを丁寧に置くことで、友情が変わっていく不穏さが増していく。
そのため読むときの期待値を調整するだけで印象が変わる。『GANTZ』の代わりを探すのではなく、「奥浩哉が閉じた空間で人間観察をしたらどうなるか」と考えて読むほうが、ずっと楽しみやすい。
理由④ 序盤のアイデアが強すぎて出オチが心配になる
「おじさんが美少女になる」という設定は強烈だ。強烈だからこそ、最初の驚きを使い切った後に何が残るのか不安になる。実際のレビューにも、序盤の展開を楽しみながら、今後どう発展させるのかを気にする声が見られる。
これはもっともな疑問だ。変身する人物を隠して引っ張り続ける作品なら、それ自体が謎として機能する。ところが『還暦姫』は、誰が変化するかという一点だけに長く頼らない。比較的早い段階で物語の重心を、変身後の日常へ移していく。
そこで問われるのは「秘密をいつ明かすか」ではなく、「秘密が明らかになった生活をどこまで描けるか」だ。薬の仕組みを説明するだけなら数話で終わる。しかし、長年の友達同士が新しい身体をきっかけに変わっていく様子なら、描けることはいくらでもある。
もちろん、今後の連載がすべて期待どおりに進む保証はない。2026年11月時点で物語は進行中で、結末や最終的な評価を断定することもできない。ただし「出オチかも」という不安そのものが、続きを確かめたい気持ちにつながっているのも事実だ。
理由⑤ 笑うべきか、考えるべきか分からない
本作はギャグ漫画として読むには少し鋭く、社会派ドラマとして読むにはあまりにも奇妙だ。この中途半端さが魅力にも弱点にもなる。見た目を変えた相手に仲間がそわそわする場面は笑える。でも、その笑いが外見への偏見とつながっていると思うと、急に気軽に笑えなくなる。
『還暦姫』を読むと、顔が変われば評価が変わるのか、若さにはなぜそこまで価値が置かれるのか、といった問いが浮かぶ。ところが登場人物たちは、毎回きちんと立派な答えを出してくれるわけではない。むしろ、自分たちの欲望や戸惑いに振り回される。
こうした不安定なトーンが苦手な人にとっては、「結局何を伝えたいの?」という読後感になりやすい。一方で、答えをすぐに提示しないからこそ、読者ごとに違った解釈が生まれる。作品の善し悪しというより、漫画に求める読書体験の違いが表れやすいところだ。
評判を見るときも、「気持ち悪い」「意味が分からない」という感想がすべて酷評とは限らない。何が嫌だったのか、どこに違和感があったのかを読めば、作品の刺激を評価している人と、受け入れられない人の違いが見えてくる。ここを混ぜてしまうと、本当の評価は読み解けない。
還暦姫と奥浩哉作品の違いを徹底比較
『GANTZ』との違いは、命懸けの戦いより日常の崩壊
『GANTZ』は、死んだはずの人間たちが不可解なゲームへ巻き込まれ、正体不明の敵と戦う作品だ。生き残れるかどうかという単純で強い緊張感があり、そこへ人間の欲望や残酷さが雪崩れ込む。奥浩哉の名を広く知らしめた代表作だけに、読者の期待値も自然と高くなる。
対する『還暦姫』では、最初から世界が崩壊するわけではない。舞台は日常の延長であり、恐怖の中心にあるのは、親しい人の姿が変わることで自分の気持ちまで変わってしまうかもしれないことだ。生きるか死ぬかの二択ではなく、この関係のまま生きていけるかという問いが立ち上がる。
両作に共通するのは、極端な設定を与えられた人間の行動を容赦なく見せる点だ。人は危機になると美しくなるだけではない。保身に走り、嫉妬し、誰かを利用してしまう。『GANTZ』がそれを極限状況の戦場で表現したなら、『還暦姫』は身近な共同生活で表現する。
つまり、作品のスケールは小さくなっても、人間を見る視線まで弱くなったわけではない。激しいバトル、武器、敵の謎を期待する読者には別物に映るが、登場人物の一言でぞっとするような瞬間が好きなら、しっかり奥浩哉作品の延長線上にある。
『いぬやしき』との違いは、老いをどう描くか
比較対象として意外に重要なのが『いぬやしき』だ。こちらも若い美男美女を中心にせず、年齢を重ねた男性の人生を起点にしている。冴えない中年以降の男が、常識では考えられない能力を手に入れ、自分の存在価値を問い直す。その意味で『還暦姫』との距離は近い。
ただし『いぬやしき』は、力を手にした人物が何を守り、何を壊すかという道徳的な対比が前面にある。主人公の善意や、敵対者の行動が物語を大きく動かす。それに対して『還暦姫』の中心にいるのは6人の仲間であり、誰か1人が明確な正義の象徴という構図ではない。
もう一つの違いは、若さへの視線だ。『いぬやしき』では外見上の年齢と能力とのギャップが印象的だが、『還暦姫』は年齢や見た目そのものが、他人からの扱いを変えてしまう。老いを能力で乗り越える話というより、若さを与えられたことで生まれる別の問題を描いている。
もし『いぬやしき』で胸を打たれたのが「年齢に関係なく人間の価値はある」という部分なら、『還暦姫』の問いも見逃せない。外見が若くなっただけで価値まで上がったように扱われるなら、それまでの人生は何だったのか。笑いの裏側にそんな苦みが隠れている。
『GIGANT』との違いは、派手な非現実より静かな異常
『GIGANT』では、人間の身体が巨大化するという荒唐無稽な発想が、恋愛や社会の騒動へつながっていく。サイズの変化が視覚的なインパクトを生み、現実の街を舞台にしているからこそ、ありえない光景が強烈に目へ飛び込んでくる作品だ。
『還暦姫』も肉体の変化を扱うが、その方向は逆に近い。巨大なものを見上げて圧倒されるのではなく、目の前にいる人物を見つめ直すことで違和感が生まれる。大きさの変化で世界との関係を揺らす『GIGANT』に対し、性別や年齢、容姿の変化で人間との距離を揺らすのが『還暦姫』だ。
一方、両作とも「ありえない身体の変化を、現実の社会へ放り込む」という奥浩哉らしい設計は同じ。大きなフィクションを成立させるには、小さな現実描写が必要になる。街の様子、服装、人の視線、会話の細かな違和感。そこを描き込むことで、奇想天外な設定が不思議な説得力を持つ。
『GIGANT』が好きだった人は、『還暦姫』でも人体表現の巧みさや常識外れのアイデアを楽しめるだろう。ただ、派手な見せ場が続く作品を期待すると戸惑う可能性がある。今回の面白さは、画面の迫力よりも、その画面を見つめる人たちの感情にある。
『変〈HEN〉』との違いは、性転換を中年の友情へ持ち込んだこと
テーマの源流までたどるなら、外せないのが『変〈HEN〉』や奥浩哉の初期短編だ。作者は初期から、性別や身体が変化する出来事に関心を向けてきた。突然完成形の別人になるのではなく、変化の途中に起きる身体的な違和感を描こうとしてきたことも、過去のインタビューからうかがえる。
ただし、タイトルが似た初期作品をすべて同じ物語として扱うのは正確ではない。奥浩哉にはデビュー短編『変』や、その後の『変〈HEN〉』などがあり、主人公や設定は作品によって異なる。『還暦姫』はそれらを単純に描き直したものではなく、長年の関心を別の年齢と人間関係に置き直した新作と考えるのが自然だ。
若い登場人物なら、恋愛や自分探しの一部として身体の変化を描ける。ところが還暦間近の人物には、すでに積み重ねた仕事、趣味、友情、諦め、生活習慣がある。何十年もその身体とその顔で生きてきた人が、急に別の姿になったらどうなるのか。この時間の長さが、初期作品との大きな差だ。
特に興味深いのは、「自分がどうなりたいか」だけでなく「周囲が相手にどうなってほしいか」という欲望が前面に出てくる点。変身という個人の出来事が、共同生活する仲間全員の問題になる。ここに、若者を中心にした性転換コメディとは別の味わいが生まれている。
奥浩哉が長く描いてきたテーマを、人生の後半に差しかかった登場人物たちで描き直す。そう考えると『還暦姫』は単なる変わり種ではない。むしろ作者自身の創作歴を振り返る上で、かなり象徴的な作品に見えてくる。
4作品を比べると、奥浩哉の変わらない武器が見える
ここまでの比較を整理すると、『GANTZ』は生存と人間の本性、『いぬやしき』は老いと正義、『GIGANT』は身体のスケールと社会、『変〈HEN〉』周辺の初期作品は身体や性別の境界、そして『還暦姫』は老い・外見・友情の変化が中心にある。
テーマも見せ場も違うのに、どの作品にも「もし現実へありえない仕掛けを一つ持ち込んだら、人間はどう変わるのか」という問いがある。奥浩哉の漫画をただの奇抜な発想の連続と考えると、この共通点を見落としてしまう。SFはあくまで人間を試すための装置なのだ。
『還暦姫』の異色さは、その装置を戦場でも巨大な事件でもなく、平和そうなオタク仲間の生活に置いたことにある。読者が身近な問題として感じやすくなった反面、登場人物の嫌なところも逃げ場なく見えてしまう。そこに面白さと気まずさが同時に生まれる。
また、絵柄の写実性と内容の非常識さというギャップも健在だ。リアルな顔でとんでもない話をするから笑えるし、リアルな身体で不可能な変化が起こるから怖い。登場人物が漫画的な誇張に逃げ切らないところに、この作者ならではの説得力がある。
どんな人におすすめ?合わない人は?
『還暦姫』をおすすめしやすいのは、変わった設定の漫画が好きな人、人物の本音がこぼれる会話を楽しめる人、そして奥浩哉の作品で「人間の嫌なところまで描く大胆さ」に魅力を感じてきた人だ。奇妙なコメディから人間ドラマが立ち上がる瞬間を楽しめるなら、読んで損はない。
反対に、毎話スカッとするバトル、明快なヒーロー、気持ちよく応援できる恋愛を求める人には、優先順位が低いかもしれない。人物の性的な発言や、身体の変化を細かく描く表現もあるため、その種の描写が苦手なら試し読みで雰囲気を確かめるのがいい。
「おじさん6人の漫画なんて入り込めない」と思う人もいるだろう。しかし、楽しそうに暮らしていた仲間の中で1人だけ立場が変わったらどうするかという問題は、年齢に関係なく理解できる。学校のグループでも、職場でも、昔からの友人関係でも起こりうる感情のズレに近いからだ。
また、変身後の姿だけが気になっている人にも、一つだけ伝えたい。『還暦姫』を楽しむコツは、誰がきれいになったかより、その人を見て誰がどんな顔をしたかに注目することだ。物語の本音は、驚きの設定よりも、その後のちょっとした会話に隠れている。
今から読むなら何巻まで?結末は決まっている?
2026年11月時点で単行本は2巻まで刊行されている。まずは第1巻で、6人の共同生活と怪しい薬の導入、物語が大きく動き出す流れを確かめる。続く第2巻では、変化した後の日常や人間関係がどう揺れ始めるかに注目すると、作品が目指している方向をつかみやすい。
なお、奥浩哉は2026年10月に自身のSNSで、『還暦姫』をもって引退する意向を明言している。ただし「引退作として描く」という発言と、「作品がすでに完結した」という事実はまったく別の話だ。現時点で未発表の最終回や結末を決まったこととして語るのは避けたい。
作者の集大成という言葉を聞くと、壮大なラストや大事件を期待したくなる。でも、この作品が最後にどんな表情を見せるかは、まだ分からない。派手に裏切るのか、静かな生活へ戻るのか、それとも友情の意味をひっくり返してくるのか。今はその変化を追える時期だ。
作品を読む順番に決まりはない。『GANTZ』を未読でも『還暦姫』から入れるし、逆に『還暦姫』で作者に興味を持ったなら『いぬやしき』へ進むのも面白い。過去作品の知識は必要条件ではなく、読み比べることで発見が増えるおまけと考えたい。
まとめ
- 『還暦姫』が面白いと評価される理由は、還暦間近のオタク男性6人というリアルな日常に、ありえない変身を持ち込み、友情や人間の本音を揺さぶるところにある。
- つまらない・気持ち悪いという声につながるのは、生々しい言動や身体描写、笑いと不快感が混ざる独特の空気。『GANTZ』型のアクションを期待すると好みが分かれやすい。
- 『GANTZ』『いぬやしき』『GIGANT』『変〈HEN〉』と比べると、派手な事件よりも老い・容姿・友情へ焦点を絞った一作。奇抜なSFで人間の本性を描く奥浩哉らしさは健在だ。
『還暦姫』は、万人受けする優等生タイプの漫画ではない。ページをめくるたびに「いや、そんなことする!?」と笑い、次の瞬間に「でも、自分ならどうする?」と考え込む。こんな落ち着かない読書体験は、案外貴重だ。
あの6人がこれからも同じように笑って暮らせるのか。それとも、たった一人の変化が人生の後半をまったく違うものにしてしまうのか。答えを知るには、実際に彼らの表情を見てもらうのが一番早い。奥浩哉の新しい挑戦が気になったら、まずは『還暦姫』第1巻を開いてみてほしい。笑えるのに、なぜか胸に残る。そんな一冊に出会えるはずだ。



