呪術廻戦「存在しない記憶」の意味とは?SNS流行語を徹底解説!

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「これ存在しない記憶だ…」

X(旧Twitter)やTikTokのコメント欄、もしくは仲のいい友達とのLINEグループで、こんな言葉を見かけたことはないだろうか。文脈的にはなんとなく「懐かしい」とか「そんな展開あったら泣く」みたいなニュアンスで使われているのはわかる。でも、いざ意味を聞かれると説明できない。「存在しない記憶」という日本語自体は矛盾しているのに、なぜかSNSではみんな当たり前のように使いこなしている。この違和感こそが、この言葉の面白いところだ。

実はこのフレーズ、大ヒット漫画・アニメ「呪術廻戦」が生みの親である。しかも生まれた瞬間は、シリアスな伏線でもなんでもなく、バトル中の完全にふざけた一コマだった。それが数年の時を経て、原作のストーリーとはまったく関係のない文脈で、ネットのあらゆる場所に浸透していった。アニメも漫画も読んだことがない人が、いつの間にか「存在しない記憶」という単語だけを使いこなしている。この現象自体、なかなか面白い言語の生態系だと思う。

この記事では、呪術廻戦を1話も見たことがない人でもわかるように、「存在しない記憶」がどんなシーンで生まれた言葉なのか、そして現在SNSでどんな意味で使われているのか、なぜここまで市民権を得たのかを、順を追って解説していく。読み終わる頃には、あなたもこの言葉を自信を持って使えるようになっているはずだし、たぶん呪術廻戦の該当シーンが気になって仕方なくなっているはずだ。

呪術廻戦のどんなシーンで使われた言葉?


まず大前提として、「存在しない記憶」は呪術廻戦という作品の中に登場する固有の演出であり、セリフでもある。これがどんなシーンで、どんな流れで生まれたのかを知らないと、ネットでの使われ方もいまいちピンとこないと思うので、順番に整理していく。

京都姉妹校交流会編、虎杖vs東堂の一戦で生まれた言葉

呪術廻戦の物語序盤、東京校と京都校の交流試合を描いた「京都姉妹校交流会編」というエピソードがある。ここで主人公・虎杖悠仁は、京都校の呪術高専生である東堂葵と一対一で戦うことになる。この東堂というキャラクターがとにかく規格外で、初対面の相手にいきなり「好みの女性のタイプ」を尋ねてくるという、バトル漫画の緊迫感を粉々に破壊するタイプの人物だ。

虎杖はこの唐突な質問に律儀に答える。中身は割愛するが、要するに虎杖の好みのタイプが、東堂の好みのタイプと完全に一致してしまうという展開が起きる。ここがこのエピソードの最大の見せ場であり、同時に「存在しない記憶」誕生の瞬間でもある。

好みが一致した瞬間、東堂の脳内には、本来ありえないはずの記憶が突然溢れ出す。「自分と虎杖は、学生時代からの大親友だった」という、事実とはまったく異なる甘酸っぱい青春の回想シーンだ。しかも東堂は京都出身、虎杖は仙台出身で、二人がこの試合以前に顔を合わせたことは一度もない。にもかかわらず、東堂の頭の中には二人が一緒に過ごした学生時代の思い出が、まるで本当にあったことのように鮮明に流れ込んでくる。

この「本来存在しないはずなのに、確かに記憶として体験されてしまうもの」こそが、原作漫画の中で明確に「存在しない記憶」という言葉で表現された。単行本でいうと5巻、話数でいうと第35話に該当する場面で、東堂の脳内に溢れた回想に対して、地の文でしっかりと「存在しない記憶」という表現が使われているのがポイントだ。アニメ版ではこの回想シーン自体は映像として描かれているものの、ナレーションやモノローグでこの単語がはっきり明言される場面は省略されている。つまり「存在しない記憶」という言葉そのものの初出は、正確にはアニメではなく原作漫画ということになる。この違いは地味に重要で、アニメしか見ていない人が原作を読んで初めてこの単語に出会い、「あ、ここが元ネタだったのか」と驚くパターンも多い。

シーンとしての面白さは、単なるギャグにとどまらない。虎杖と東堂という、出会ったばかりの二人が「好みの女性のタイプ」というくだらないきっかけで意気投合し、まるで長年の親友であるかのような絆が一瞬で生まれてしまう。この急激な距離の詰め方、そしてそれを本人たちが大真面目にやっているギャップが、読者に強烈なインパクトを残した。バトル漫画のシリアスな試合の最中に、こんな脱線が挟まること自体が異例であり、だからこそ記憶に残るシーンになったと言える。

脹相にも起きた「二度目の存在しない記憶」

「存在しない記憶」が単なる一発ギャグで終わらなかった最大の理由が、この現象が物語の別の場面でもう一度発生したことにある。登場するのは脹相というキャラクターだ。脹相は物語の中盤以降に登場する重要人物で、実は虎杖と血の繋がりを持つ兄弟のような存在であることが後に判明する。

脹相は「赤血操術」という、自身の血を操る特殊な呪術を使う。この術式には、血縁関係にある相手の危機を感覚的に察知できるという特性がある。物語のある局面で、虎杖の身に強い危険が迫った瞬間、離れた場所にいる脹相の脳内にも、東堂のときとまったく同じように「存在しない記憶」が溢れ出す。内容は、虎杖と脹相が兄弟として共に過ごした、実際には起こっていないはずの温かい日常の記憶だ。

これは偶然の一致ではなく、作者が意図的に仕込んだ演出であることが後に明かされている。お笑いの世界でいう「天丼」、つまり一度ウケたネタをあえてもう一度繰り返すことで笑いを増幅させる手法を、シリアスな場面にあえて重ねてきたわけだ。東堂のときは完全にコメディとしての「存在しない記憶」だったが、脹相のときは血の繋がりという設定に裏打ちされた、切なさと兄弟愛が滲むシーンとして再登場する。同じ現象名でありながら、一度目と二度目でまったく異なる読後感を残すという、なかなか高度な構成になっている。

この「同じ言葉が笑いにも感動にも使える」という二面性が、後にネットミームとして独り歩きしていく土壌を作ったとも言える。読者の間では「東堂のときは笑ったけど、脹相のときは普通に泣いた」という感想も多く、一つのフレーズが真逆の感情を引き出せることの面白さが、この言葉の懐の深さを物語っている。

作者・芥見先生が明かした制作秘話

「存在しない記憶」という言葉自体は、呪術廻戦オリジナルの造語というわけではない。もともと「実際には体験していないはずなのに、なぜか記憶として鮮明に思い出せてしまう現象」を指す言い回しとして、日常会話やインターネット上で以前から使われていた表現だった。作者の芥見下々先生は、この既存のフレーズを東堂というキャラクターの妄想癖を表現するための小道具として、ギャグ的に作中へ持ち込んだと考えられている。

この採用にはちゃんと裏話もある。単行本のファンブックやインタビュー記事によると、芥見先生自身がこの「存在しない記憶」というくだりについて、漫画家の師匠にあたる人物から「笑った」という感想をもらえたことが嬉しかったというエピソードを語っている。作者本人としても、狙って仕込んだギャグが的確に刺さった手応えのあるシーンだったということが伺える。

さらに脹相のパートについても、別のインタビュー番組で「東堂のときにウケたので、あえて同じネタを繰り返す天丼として使った」という趣旨のコメントを残している。つまり脹相の「存在しない記憶」は、感動的な兄弟の絆を描く演出であると同時に、確信犯的なセルフパロディでもあったということになる。シリアスな展開の中にあえてギャグの構造を紛れ込ませる、この緩急のつけ方こそが呪術廻戦という作品の魅力の一つであり、「存在しない記憶」はその象徴的なエピソードとして語り継がれている。

なお、物語の考察勢の間では一時期、「この存在しない記憶という現象は、実は虎杖悠仁自身の呪術的な能力によるものなのではないか」という説がかなり真剣に議論されていた時期もある。虎杖の正体に関わる重大な伏線ではないかという読み方だ。しかし後の展開で、この説は作者サイドから明確に否定されている。東堂の場合は単純に本人の妄想癖によるもの、脹相の場合は赤血操術による血縁感知が引き起こしたものであり、虎杖側に特別な能力があったわけではないというのが公式の整理だ。この「実は考察の対象にもなっていた」という経緯も、後述するネットでの流行に一役買っている。

日常生活やSNSでの正しい(?)使い方・例文

さて、ここからが本題だ。原作でのエピソードはあくまで前提知識であり、実際にSNSで飛び交っている「存在しない記憶」は、東堂や脹相のシーンとはほぼ無関係の文脈で使われている。呪術廻戦を読んだことがなくても、この単語だけは知っているという人が量産されているのはこのためだ。ここでは実際のネットミームとしての意味と、具体的な使い方を紹介していく。

ネットミームとしての2つの意味

ネット上での「存在しない記憶」には、大きく分けて2つのニュアンスがある。

一つ目は、「本来は起こっていないはずなのに、あたかも本当にあった出来事のように語られる、あり得そうな展開」という意味だ。たとえば好きなアニメやドラマで「あのキャラとあのキャラが実は付き合っていた」というような、公式では描かれていない関係性や展開に対して、ファンが「これはもう存在しない記憶だわ」と表現する。ここでのポイントは、単なる願望や妄想ではなく、「もしそうだったとしても違和感がないくらい説得力がある」という一種の褒め言葉として機能している点だ。ただの妄想を「存在しない記憶」と呼ぶわけではなく、「そう言われたら信じてしまいそうなクオリティの高さ」に対して使われるニュアンスが強い。

二つ目は、「クオリティが高すぎて、公式のワンシーンだと錯覚してしまうほどの二次創作や考察」に対する評価として使われるパターンだ。ファンアートやファン漫画、二次創作小説などに対して「これもう存在しない記憶でしょ」「存在しない記憶にしか見えない」とコメントする使い方で、作り手への最大級の賛辞として機能している。絵柄の再現度、キャラクターの解釈の一致度が高ければ高いほど、この言葉が使われる頻度も上がる。

どちらの意味にも共通しているのは、「フィクションであることは百も承知の上で、それでも本物のように錯覚してしまうほどの完成度への感動」を表しているという点だ。単に「よくできてるね」と言うよりも、東堂と虎杖のあの一瞬で生まれた偽りの絆というエピソードを踏まえたうえで使うことで、一段階深いニュアンスの共感や賛辞を伝えられる、いわば呪術廻戦ファン同士の合言葉のような側面も持っている。

具体的な使用例文集

実際にどんな場面で使われているのか、具体的な例文を並べてみる。呪術廻戦ファン同士の会話に限らず、幅広いシーンで応用が利くのがこの言葉の便利なところだ。

ファンアート・二次創作への感想として使う場合。「この絵柄の二人、あまりに自然すぎて存在しない記憶が刷り込まれた」「このカップリングの解釈、もう存在しない記憶にしか見えないんだが」といった具合に、キャラクター同士の関係性を描いた作品への感想として使われる。褒め言葉としての強度が高く、単なる「かわいい」「尊い」よりも一段深い没入感を表現できる。

考察や妄想を語る場面での使用例。「もしこの二人が幼馴染設定だったら絶対こういう会話してるでしょ、存在しない記憶生えてきた」というように、公式設定にはない想像上のエピソードを語るときの前置きとして使われる。この場合は少し自虐的なニュアンスも含まれ、「本当はないとわかっているけど、あまりに自然にイメージできてしまう」という感覚を共有する意味合いが強い。

日常会話での応用例。実は呪術廻戦や特定の作品に限定されず、日常のちょっとした場面でも応用されるようになっている。「この店、初めて来たのになんか懐かしい味がする。存在しない記憶かな」「初対面なのになぜかずっと前から知り合いだった気がする、存在しない記憶が疼く」というように、デジャヴュに近い感覚を表現するときにも使われる。もともとの「本当は体験していないのに記憶にある感覚」という言葉本来の意味に、一周回って近づいている使い方とも言える。

推し活・アイドル文脈での使用例。「このユニットの掛け合い、あまりに息が合いすぎて過去に絶対何かあった、存在しない記憶」というように、リアルの芸能人やアイドルグループの関係性を語る際にも転用されている。ここまで来るともはや呪術廻戦の文脈からは完全に離れており、単に「そう言われたら信じてしまう説得力のある関係性・展開」全般を指す万能フレーズとして機能していることがわかる。

スポーツ観戦での使用例も見逃せない。「このコンビ、初対決のはずなのに息ぴったりすぎる。存在しない記憶が見える」というように、初共演や初対戦のはずの選手同士が驚くほど息の合った連携を見せたときにも使われる。本来スポーツとは無縁の言葉であるにもかかわらず、「事前の関係性がなかったはずなのに、まるで長年のパートナーのような一体感がある」という状況全般に転用できる汎用性の高さが、ここでも発揮されている形だ。

創作活動そのものへの自己ツッコミとしての使用例もある。自分で二次創作を描いた人が、投稿の際に「自分で描いといて存在しない記憶が生えてきた」「描いてる途中から本当にこんな会話してた気がしてきた」という具合に、自分自身の創作物にすっかり感情移入してしまった状態を茶化す使い方だ。この自虐と愛情が入り混じった独特のニュアンスも、この言葉が単なる褒め言葉以上の柔軟さを持っていることの証明と言える。

このように並べてみると、「存在しない記憶」という一つのフレーズが、感想・考察・自虐・観戦実況・日常会話と、驚くほど幅広いシチュエーションで機能していることがわかる。核にあるのは常に「事実ではないはずなのに、確かにそう感じられてしまうほどの説得力」というニュアンスであり、この軸さえブレなければ、応用先はいくらでも広がっていく。まさに使い勝手の良すぎるパワーワードと呼ぶにふさわしい柔軟性だ。

呪術廻戦以外の作品でも使われる汎用性

もう一つ興味深いのが、この言葉が呪術廻戦という作品の枠を完全に飛び越えて、他のジャンルの二次創作タグとしても定着している点だ。イラスト投稿サイトなどでは、呪術廻戦とはまったく関係のない他の人気作品のファンアートにも「存在しない記憶」というタグが付けられているケースが珍しくない。同時期に大きな盛り上がりを見せた競走馬育成シミュレーションを題材にした作品のファンアートなど、ジャンルを問わずこのタグが浸透している例も見受けられる。

これはつまり、「存在しない記憶」というフレーズが、もはや呪術廻戦という固有名詞から独立して、単体で通用する汎用スラングへと昇格したことを意味している。関連タグとして並んでいる言葉を見ても、「捏造」「妄想」「どうしてこうならなかった」「もうこれが公式でいいよ」「全て遠き理想郷」といった、公式展開に対する切ない願望や、二次創作特有の熱量を表す言葉たちと一緒に扱われていることが多い。これらは全部、方向性は少しずつ違えど「本当はないけど、あってほしかった」「あったらよかったのに」という感情を表現するための語彙群であり、「存在しない記憶」はその中でもとりわけキャッチーで使い勝手のいい代表格として君臨している状態だ。

言葉というのは、誕生した文脈から切り離されて一人歩きし始めると、爆発的に広がるケースがある。「存在しない記憶」はまさにその典型例であり、呪術廻戦を知らない人が別の作品のファンアートのタグでこの言葉に出会い、そこから逆輸入的に「呪術廻戦の元ネタが気になる」と検索する、という流れも生まれている。この記事にたどり着いた人の中にも、そういうルートの人がいるのではないだろうか。

なぜここまでネットで流行ったのか

数ある呪術廻戦の名場面やフレーズの中で、なぜ「存在しない記憶」だけがここまで独立したミームとして定着したのか。ここには、単なる「面白いシーンだったから」だけでは説明しきれない、いくつかの要因が重なっていると考えられる。

「あるある」を超えた絶妙な言葉のセンス

まず大前提として、「存在しない記憶」というフレーズ自体の完成度が異常に高い。矛盾した言葉なのに、意味が直感的に伝わってくる不思議な語感がある。「存在しない」と「記憶」という、本来相容れないはずの二語を組み合わせることで、読んだ瞬間に「ああ、あの感覚か」とピンとくる絶妙なバランスが成立している。

これは日本語特有の熟語センスの妙とも言える。似たような概念を説明しようとすると、「デジャヴ」「マンデラ効果」「虚偽記憶」といった専門用語を使うことになるが、これらはどれも少し硬く、日常会話やSNSのノリにはなじみにくい。一方で「存在しない記憶」は、専門用語のような正確さは持たないものの、感覚的な伝わりやすさでは圧倒的に優れている。しかもこの言葉、実は呪術廻戦以前から一般的な言い回しとして存在していたという事実も、逆に浸透しやすさを後押ししている。まったくのゼロから作られた造語ではなく、もともとどこかで聞いたことがあるようなフレーズだからこそ、初見でも違和感なく受け入れられ、すぐに自分の語彙として使いこなせてしまう。

さらに、東堂と脹相という、キャラクター性がまったく異なる二人に同じ現象が起きたことで、「シリアスにもコメディにも使える万能フレーズ」という強みが生まれた。もし東堂のギャグシーンだけで終わっていたら、ここまで広がらなかった可能性がある。感動的な文脈でも使える言葉だからこそ、SNSでの応用範囲が一気に広がったと言える。

二次創作文化との相性の良さ

「存在しない記憶」がここまで浸透した最大の要因の一つが、二次創作文化との親和性の高さにある。ファンアートや考察、いわゆる「妄想」コンテンツを発信する側にとって、自分の作品を表現するのにこれほど便利なフレーズはなかなかない。

たとえば「公式にはない関係性を描いた絵」に対して、単に「素敵な絵ですね」とコメントするよりも、「これもう存在しない記憶でしょ」と言うほうが、圧倒的に多くの情報とニュアンスを一言で伝えられる。「あなたの解釈は公式かと錯覚するレベルで説得力がある」「本当にこんな展開があったらよかったのに」という複雑な感情を、たった一言に圧縮できるのがこのフレーズの強みだ。SNSは文字数や時間の制約が大きいプラットフォームなので、こういう「一言で多くを語れる言葉」は爆発的に広まりやすい。まさにインターネットのコミュニケーション速度に最適化されたフレーズだったと言える。

また、タグとして機能しやすいという実用面のメリットも大きい。イラスト投稿サイトで自分の二次創作作品にこのタグを付けておけば、同じ感性を持つファン同士で自然に作品が繋がっていく。検索する側にとっても、「存在しない記憶」というタグを辿るだけで、自分の好きなキャラクター同士の「あったかもしれない物語」を効率よく探し出せる。作り手と受け手の両方にとって使い勝手のいいキーワードだったことが、コミュニティ内での定着を加速させた大きな理由だ。

SNSの拡散構造とタグ文化

最後に見逃せないのが、呪術廻戦という作品そのものが持っていた圧倒的な瞬発力だ。連載開始から爆発的な人気を獲得し、アニメ化以降はさらに広い層にリーチしたことで、作品にまつわる用語やフレーズが次々とトレンド入りするような土壌がすでに出来上がっていた。この土台があったからこそ、「存在しない記憶」という一つのフレーズが、局地的な内輪ネタで終わらずに、広く一般に知られるレベルまで拡散できたと言える。

加えて、SNSのアルゴリズムやタグ検索の仕組みとの相性も良かった。短くてインパクトのある言葉は、リポストや引用、二次利用がしやすい。誰かが面白がって使ったツイートがバズれば、それを見た別のユーザーが自分の投稿でも真似して使う、という連鎖が起きやすい。「存在しない記憶」はまさにこの連鎖にぴったりハマるフォーマットだった。短く、意味深で、しかもちょっとクスッと笑えるニュアンスも含んでいる。この「ちょうどいい強度」が、拡散のスピードを何倍にも加速させたと考えられる。

そして何より、原作を読んでいなくても文脈で意味がなんとなく推測できてしまう、という間口の広さも大きい。専門知識がなくても使える言葉だからこそ、コアなファン層を飛び越えて、ライトな層やそもそも作品を知らない層にまで広がっていった。結果として、「存在しない記憶」は呪術廻戦という原作の枠を超え、インターネット全体で共有される一種の共通言語、パワーワードとしての地位を確立するに至った。これはもはや、作品の人気だけでは説明できない、言葉そのものが持つポテンシャルの勝利とも言えるだろう。

もう一つ、地味だけれど無視できない要因として、「元ネタを知らなくても恥ずかしくない言葉」だったという点も挙げられる。SNSには数えきれないほどのミームやスラングが日々生まれているが、その多くは元ネタを知らないと使うのが少し気まずかったり、知らないまま使うと浮いてしまったりする。ところが「存在しない記憶」は、そもそもの言葉自体が日本語として意味を推測しやすい構造をしているため、呪術廻戦を知らない人でも文脈だけで自然に使いこなせてしまう。元ネタを知っている人にとっては「あのシーンね」というニヤリとした共感を、元ネタを知らない人にとっては言葉の響きだけで伝わる直感的なニュアンスを、それぞれ別のレイヤーで同時に提供できている。この二重構造こそが、コアなファンダムの外側にまで言葉が滲み出していった最大の秘密なのではないかと思う。

タイムライン上での拡散のされ方を観察していても、面白い傾向が見えてくる。最初に火がついたのはやはり呪術廻戦のファンコミュニティ内での使用だったが、そこから「言葉として便利だから」という理由だけで、作品を知らない層のリツイートやいいねを経由して、じわじわとタイムラインの外側へにじみ出ていく現象が起きている。これはいわゆる「ミームの脱文脈化」と呼ばれる現象そのもので、インターネットスラングが本来の作品や文脈を離れて独立した記号として機能し始める過程を、リアルタイムで観測できた貴重な事例とも言える。今後、また別の作品やシーンから、似たような構造を持つ新しいフレーズが誕生する可能性も十分にあるが、「存在しない記憶」ほど言葉の完成度とタイミングが噛み合った例は、そう頻繁には出てこないはずだ。

まとめ

ここまで、「存在しない記憶」というフレーズの元ネタと、ネットミームとしての使われ方を掘り下げてきた。最後に、この記事の重要なポイントを3つに整理しておく。

1つ目は、「存在しない記憶」はもともと呪術廻戦の京都姉妹校交流会編、虎杖と東堂の一戦の中で生まれた言葉であり、後に脹相にも同じ現象が起きたことで、笑いと感動の両方を担える二面性のあるフレーズに育ったという点だ。作者・芥見先生の遊び心と、あえて同じネタを繰り返す構成力が組み合わさって生まれた、計算された名シーンでもある。

2つ目は、ネットミームとしての「存在しない記憶」は、「本来存在しないはずなのに、あたかも本当にあったかのように感じられるほど説得力のある展開や創作物」に対する最大級の褒め言葉として機能しているという点だ。二次創作との相性の良さから、呪術廻戦の枠を飛び越えて、他の作品のファンアートやSNS上の日常会話にまで応用される万能フレーズへと成長した。

3つ目は、この言葉がここまで広まった背景には、フレーズ自体の絶妙な語感、二次創作文化との親和性、そしてSNSの拡散構造という複数の要因が重なっていたという点だ。単なる一発ギャグで終わらず、インターネット全体の共通言語にまで昇華したのは、決して偶然ではない。

正直なところ、こういう言葉の背景を知れば知るほど、原作のあのシーンをもう一度自分の目で確かめたくなってくる。東堂の脳内に溢れた、ありもしない青春の記憶。脹相が虎杖の危機に感じ取った、兄弟としての存在しないはずの絆。文字で説明されると面白おかしく聞こえるかもしれないが、実際のコマ割りやセリフ回し、そしてキャラクターたちの表情を見ると、また違った印象を受けるはずだ。まだ呪術廻戦を読んだことがない人も、アニメでこのシーンを見返したい人も、ぜひ一度、京都姉妹校交流会編のあの一戦を自分の目で確認してみてほしい。ネットミームとしての「存在しない記憶」しか知らなかった人ほど、原作の本当の面白さに驚くことになると思う。

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