【光が死んだ夏】パクリ?チェンソーマンと絵柄が似ている!藤本タツキとモクモクれんの違い!

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漫画『光が死んだ夏』は、『チェンソーマン』と絵柄が似ているという指摘を受けることがありますが、これはあくまで表面的な類似に過ぎません。

それぞれの作品が持つ独自の魅力やスタイルは、作者である藤本タツキとモクモクれんの違いによって生まれているのです。

一体どのような点がパクリと言われているのでしょうか?また独自性の違いはどのようなところにあるのでしょうか?本記事では二人の作家性について解説していきたいと思います。

【光が死んだ夏】あらすじ

ある集落で暮らす少年、よしきと光。同い年の2人はずっと一緒に育ってきた。しかしある日、よしきが光だと思っていたものは別のナニカにすり替わっていたことに確信を持ってしまう。それでも、一緒にいたい。友人の姿をしたナニカとの、いつも通りの日々が始まる。時を同じくして、集落では様々な事件が起こっていき――。新進気鋭の作家・モクモクれんが描く、未知のナニカへ堕ちていく物語、開幕。巻末には在りし日の2人を描いた、描き下ろし短編も収録。

【光が死んだ夏】作品情報

タイトル: 光が死んだ夏

著者: モクモクれん

カテゴリ: 青年マンガ

出版社: KADOKAWA

レーベル: 角川コミックス・エース

【光が死んだ夏】パクリ?チェンソーマンと絵柄が似ている?

絵柄がパクリなのか?


『光が死んだ夏』と『チェンソーマン』を並べて絵柄を比較してみると、主人公の光とデンジのキャラクターデザインには共通点があるように感じられます。特に、初期の段階ではその類似性が際立っています。

しかし、物語が進行し、巻数が増えるにつれて、両者の作品はそれぞれの独自の画風を確立し始めます。それぞれのキャラクターが抱える背景や感情、物語のテーマが反映されることで、キャラクターデザインにもその独自性がより強く現れてくるのです。

このように、初めは似ていると感じられる要素が、物語の進行に伴って次第に異なる方向へと進化していく様子は、両作品の魅力をさらに引き立てる要因となっています。

絵柄の明確な違いは?

『光が死んだ夏』の絵柄は、まず第一にその可愛らしさや繊細さが非常に際立っています。キャラクターたちの目や表情は特に精緻に描かれており、その細やかなタッチからは感情の機微までもが伝わってくるかのようです。

さらに、背景や風景描写にも細心の注意が払われており、自然や季節の移り変わり、日常のさりげない場面までもが美しく、そして丁寧に描かれています。これらの要素が組み合わさることで、作品全体に繊細で優美な雰囲気が漂い、読者をその世界観へと深く引き込んでいきます。

一方で、『チェンソーマン』の絵柄はまったく異なるアプローチを取っています。作者であるたつき先生は、自身が映画好きであることを公言しており、その影響が作品全体に強く現れています。特に、キャラクターたちが繰り広げるアクションシーンには映画的な迫力があり、スピード感とダイナミズムが画面から溢れ出ています。

さらに、『チェンソーマン』のストーリー全体には暗い雰囲気が漂っており、暴力的でグロテスクな描写も頻繁に登場します。しかし、その中で主人公デンジの明るさや無邪気さが、作品に一筋の光をもたらしています。

彼のキャラクターが持つ底抜けの明るさは、物語の暗さを吹き飛ばし、読者に一種のカタルシスを与える役割を果たしています。

【光が死んだ夏】パクリではないという結論

『光が死んだ夏』と『チェンソーマン』は、どちらも独自のスタイルと魅力を持つ作品であり、それぞれ異なるアプローチで読者を引き込んでいます。初期の段階では、両作品のキャラクターデザインや絵柄にいくつかの共通点が見られるかもしれませんが、これはあくまで表面的なものであり、影響や模倣ではありません。

『光が死んだ夏』は、その独特の世界観と繊細な描写を特徴とし、時間が経つにつれて、その独自性がますます際立ってきます。特にキャラクターたちの感情表現や、背景の美しい描写において、作者の個性と独創性が強く感じられます。

一方、『チェンソーマン』は、アクションシーンの迫力やダークな世界観が特徴的であり、映画的な影響を受けたダイナミックな絵柄が際立っています。作者のたつき先生は、映画からインスピレーションを得て、独自のスタイルを築き上げています。

つまり、『光が死んだ夏』は『チェンソーマン』を模倣したものではなく、それぞれの作品が異なるテーマやビジョンを持って創作されていることが明確です。どちらの作品も、個々の作者の独創的なアイデアと表現力によって成り立っており、互いに尊重されるべき独立した芸術作品です。

【光が死んだ夏】コミックス情報

光が死んだ夏1巻


よしきと光は同じ村で幼なじみとして育った。彼らは常に一緒に過ごし、深い絆で結ばれてきた。ところがある日、光は山に行ったまま姿を消し、その後、別の存在が彼と同じ姿で村に戻ってきた。

その存在は光にそっくりだった。見た目も態度も本物そっくりで、周囲の人々は何も気づいていないようだった。しかし、よしきだけが微妙な違和感に気づいた。

よしきがその違和感を問い詰めると、光は顔の半分がとろけ感極まり、「他の誰にも話さないでほしい」と頼みながら、「お前のことが本当に好きだ」と涙ぐんだ。その瞬間、よしきは自分の前にいる存在を「ヒカル」と呼び、友として受け入れることを決意した。

葛藤を抱えながらも、よしきはヒカルとの穏やかな時間を過ごす。しかし、同時期に村では不可解な死亡事例や奇怪な怪物の目撃情報が相次ぎ、不穏な空気が漂い始めていた。

そのような中、よしきはある主婦から「ヒカルと一緒にいるべきでない」と忠告される。そして、ある日、その警告が現実となり、ヒカルは恐ろしい怪物の姿でよしきを襲いかかった。

光が死んだ夏2巻


よしきはヒカルに襲われた後、その一件を押しとどめることができたが、彼の異様な行動に対する疑念は依然として残った。しかし、後日、泣きながら謝罪するヒカルの姿を見て、同情心が生まれてきた。そして、次第に自分が彼を導くべきだとの考えに至った。

夏祭りの日、よしきとヒカル、よしきの妹であるかおるは楽しく過ごした。かき氷を食べながらの会話の中で、よしきは山で光の遺体を発見したことをぽつりと口にした。彼がヒカルが本物の光ではないことに気づいた瞬間だった。

その後、感情的になったよしきに対し、ヒカルは自身が光になり得ないことを理解しながらも、「お前を確実に守る」と誓った。

一方で、よしきの家のお風呂場には髪の毛のような妖怪が出現した。即座に現場に駆けつけようとするヒカルだったが、何故かよしきが一瞬目を離した隙に、彼は湯船に沈んでしまった。慌てたよしきは、彼を引き上げようとしたが、自分の内に何かが入り込む感覚に襲われた。

光が死んだ夏3巻


「死んでるのと、生きとるので、そんなに違うん?」。ある集落で共に育った少年、よしきと光。ある日、よしきは光が別の何者かにすり替わっていたことを確信してしまう。姿こそ同じで、完璧な見た目のヒカル。

しかし、確かに​​ではないという内面の違和感を感じながらも、よしきはヒカルに寄り添い、いつも通りの日々を過ごしていく。理解を示すことで、距離が縮まったある日、人ではない存在との、埋められない価値観の溝を実感する事件が発生します。

その中で、村の大人たちが呼び寄せた謎めいたサングラス男が登場します。何かしらの会社で仕事をしているようですが、その人物は言います。「山のケガレが無くなっている」「山から降りてきている」と述べました。

ヒカルの家にはいつもの仲間が集まり、泊まることになりました。朝子とヒカルは一緒に買い物に行くことに。すると、突然朝子がヒカルに問いかけます。「あなたは一体、誰ですか?」。実は朝子は霊的な声を聞き取れる子だったのです。

朝子がヒカルの正体が異なることに気づき、彼女を睨みつけ気を失わせてしまう。よしきはヒカルを包丁で刺そうとしました。

ヒカルは涙を流しながら自らの命の一部をよしきに分け与えました。そこでよしきは、ヒカルの真実を探ることを決意します。

光が死んだ夏4巻

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