なべおつさんとは、一体何者なのか。かつて『ワンピース』を心から愛していた彼は、物語の変化に違和感を覚え、ワンピースという作品そのものが気持ち悪くなった、つまらなくなったと語りはじめた。鋭い批評と冷静な言葉で作品の“歪み”を指摘する姿勢は、多くの読者に衝撃を与え、「信者の目を覚ませた」とも評されている。
一方で、今も作品を愛する層からは反発の声も上がり、人気YouTuber・カミキさんとの意見の衝突が話題を呼んだ。本記事では、なべおつさんをめぐる賛否の根源と、彼が見抜いた“ワンピースの気持ち悪さ”の正体を探っていく。
【なべおつ】一体どんな人物
「文句言うなら読むな!!」というコメントが多いので、回答を1本の記事にまとめました。https://t.co/KZNiE0aQxO
— なべおつ@ワンピースがつまらなくなった理由 (@nabeotsu_sub) January 16, 2023
かつて『ワンピース』を誰よりも深く愛し、その魅力を語っていた一人のファンだった。だが、物語が進むにつれて感じた違和感「この作品、どこか気持ち悪くなっていないか?」という疑問が、彼の中で確信へと変わっていった。
以降、なべおつさんはブログやYouTubeを通じて、“かつて愛した作品を冷静に見つめ直す”というスタンスで発信を続ける。彼の言葉は辛辣でありながらも理にかなっており、ワンピース信者の目を覚ませたという声も多い。一方で、人気YouTuber・カミキさんとの意見の対立をきっかけに、ファンの間では激しい論争も巻き起こった。
【なべおつ】気持ち悪いつまらない発言
なべおつさんが『ワンピース』に対して「気持ち悪い」「つまらない」とまで断じる背景には、単なるアンチ的感情ではなく、長年作品を愛してきた者としての“構成的・物語的な絶望”がある。彼の批評を丁寧に読み解くと、そこには明確な論理が存在する。
物語構成が崩壊している
なべおつさんが最も強く批判しているのは、「構成の破綻」だ。
彼は最新話(エルバフ編)を評して、「もう読み返すのが苦痛なレベルでキモくてつまらん」とまで表現している。
理由は、重要な真相(ロキの真意)にたどり着くまでの展開が極端に引き延ばされ、読者の関心を削ぎ落としてしまっている点にある。
とくに「回想に入るまでを引き延ばす」という構成を“前代未聞”とし、物語のテンポも緊張感も失われていると指摘。これは単なる退屈ではなく、作品全体の構造的欠陥として彼の目には映っている。
無意味な引き延ばしと演出過多
なべおつさんが繰り返し批判するもう一つの要素が、「引き延ばしによる劣化」だ。
彼は、ロキやイムといった重要キャラクターの“真意”が語られる直前に、さらに長尺の回想を重ねる手法を「素材を腐らせてから提供する料理」とたとえ、作品づくりの姿勢そのものを皮肉っている。
つまり“熱を持った物語”を冷め切るまで放置し、読者が興味を失った頃に提供する――そんな構成を「気持ち悪い」と表現しているのだ。
感情の流れが不自然で、読者を置き去りにしている
初期の『ワンピース』では、感情の爆発と物語の展開が一体化していた。
しかし現在の物語では、キャラクターの心情描写や行動が不自然で、読者の感情移入を拒むような構成になっていると、なべおつさんは分析する。
彼の言葉を借りれば「すべてのセリフ・会話・描写がキモすぎる」というのは、登場人物たちの言動が“物語の必然”ではなく“作者の都合”で動かされているように見える、という意味だ。
これが読者に“気持ち悪さ”を感じさせる最大の要因だと、なべおつさんは主張している。
過去の栄光を引きずる“歪んだ愛”への絶望
そして、彼の批判の根底には「かつての『ワンピース』は本当に面白かったのに」という喪失感がある。
アーロン編、アラバスタ編、空島編など、過去の名場面を例に出しながら「今の構成は当時の緊張感や感動を完全に失っている」と語る姿には、失われた輝きへの怒りと悲しみが滲む。
つまり、彼の“気持ち悪い”という表現は、単なる拒絶ではなく、“愛していた作品が崩れていくことへの悲鳴”でもあるのだと私は考える
【なべおつ】人気YouTuberカミキさんでバトル
なべおつvsカミキ論争の発端
ワンピースを批評するなべおつさんに対しワンピース大好きカミキさんが自身のYouTubeで触れた。当初この件をなべおつさんは「スルーする意向」だった。
しかし、カミキさんから名指しで言及され、ブログやYouTubeのコメント欄が荒れたため、やむを得ず詳細な回答を公開した。過去に3度も言及を受けており、今回はその総まとめとして反論した形になる。
尾田栄一郎SBS発言をめぐる誤解
議論の中心は「SBS発言の解釈」である。
カミキさんは、尾田氏の「厳しいチェックとかも入れませんから楽しく仲良くやってくださいー」という言葉を根拠に、「マナーを守れば画像の無断使用も容認されている」と主張していた。
しかし、なべおつさんはこれを「論理の飛躍」と断言する。質問も回答も“考察”への言及に留まり、“画像使用”の可否を語った箇所は一切存在しない。
それを拡大解釈して「自分の画像使用は愛があるから許される」と言いつつ、批判者の引用だけを著作権侵害と断定するのは「自己正当化の詭弁」であり、「二枚舌」だと批判している。
「引用」と「無断転載」は違う
なべおつさんは、自身のブログで使用しているコマ画像について「引用の範疇である」と説明する。
引用には本文との主従関係・引用の必然性・改変禁止・出典明示など明確な条件があり、それを満たしている限り合法だという立場だ。
つまり、肯定的か否定的かは関係なく、引用か無断転載かを決めるのは裁判所と権利者であり、第三者が感情で断定すること自体が無意味だと主張している。
「作品愛」とは何か
カミキさん側が「批判的な発言は愛がない」「便所の落書き」と評したことに対し、なべおつ氏は「愛の有無を他人が測るのはナンセンス」と切り捨てる
批判は読者の自由であり、商業作品への意見表明は当然の権利だと強調。
むしろ作者・尾田栄一郎氏がかつて「率直な意見を歓迎する」姿勢を見せていたことを引き合いに出し、批判的意見の存在を“失礼”と決めつける風潮こそ作品文化を狭めていると訴える。
考察文化への批判
なべおつさんはさらに、YouTuberたちの“考察行為”にも一石を投じる。
尾田氏が「展開を当てられたら変える」と語ったことから、元ネタを暴き拡散する行為は、結果的に「作者の構想を歪めるリスクがある」と警鐘を鳴らす。
つまり、考察の名を借りた“ネタ潰し”が作品の純粋な創作意図を損ねているのではないか――それが彼の根本的な疑問だ。
「批判=悪口」ではない
なべおつさんは、自身の動画やブログを「悪口を見たい人向け」と揶揄されたことにも反論する。
批判とは感情的な攻撃ではなく、論理的な指摘であると定義。
「便所の落書き」と切り捨てることは、思考を放棄しているのと同義だと指摘する。
逆に、「人格否定」で相手を罵倒する行為こそ“悪口”であり、議論の放棄に他ならないとした。
スルーしていた理由と“愛の矛盾”
なべおつさんがこれまで沈黙していたのは、「公式への悪影響を避けるため」だという。
カミキさんのように公式イベントに関わる立場の人物が、批判者の名前を出すことは「公式が無視できない火種を作る行為」だと警告。
「作品愛」を語りながら、結果的に対立を煽っている矛盾を鋭く突く。
本当に作品を思うなら、名前を出さずスタンスだけを述べ、コメント欄で話題を拡散させない方法もあったはずだと主張している。
▼合わせて読みたい記事▼

