彼は、勝つためにすべてを捧げた。愛も、日常も、そして自分の生の実感すら。将棋という盤上にのみ陽光が差すのだと信じた男──上条桂介。現代編で彼を追う元棋士の刑事と、過去編で凄絶な運命に呑まれていく少年。ふたつの時間軸がやがて一点で噛み合い、白骨遺体・名駒・「反則負け(二歩)」という三つ巴の謎が読者の胸を貫く。ページを繰るほどに明滅するのは、犯罪小説の冷たさと青春譚の熱さの交差だ。この物語は「ネタバレあり」で語ってこそ、初めてその全貌が立ち上がる。以下、徹底的に踏み込む。
【盤上の向日葵】あらすじ
棋界に彗星のごとく現れた革命児、上条桂介。異端の経歴でプロに上り詰めた男はついにタイトルへと手を掛けようとしていた。彼の凄絶な過去を辿るストーリー。そして将棋を通じて、彼は運命の男と邂逅する……。 平成6年8月、埼玉県大宮市・天木山の山中から白骨化した男性遺体が発見される。遺体と共に埋められていたのは、初代菊水月作「錦旗島黄楊根杢盛り上げ駒」。時価600万とも言われる名品は、なぜ殺人現場の土中で眠っていたのか。四か月後、将棋界は「竜昇戦」最終局で沸騰。六冠の天才・壬生芳樹(24)と、奨励会を経ずに実業界から特例プロ入りした上条桂介(33)が覇を競う。現在編の刑事たちは名駒の来歴を追い、過去編の桂介は「父」への憎悪と「師」への羨望のあいだで壊れていく。盤上と現実、ふたつの戦場で物語は加速し、ついに誰も予想しなかった「二歩」の瞬間へ到達する。
【盤上の向日葵】作品情報
盤上の向日葵 3巻(完)
小説を読んでいたことがきっかけで漫画を読み始め、2巻から約2年を経て完結巻を手にした。
内容が読みやすく、高い筆致で描かれた上条桂介は美しさすらあった。#今日買った漫画 pic.twitter.com/krCXbO8qoY— 千織・Ø・ノックス (@Chiori_C_Knox) October 4, 2025
盤上の向日葵
著者
柚月裕子(原作)/雨群(漫画)
連載雑誌
KADOKAWA/ヒューコミックス
【盤上の向日葵】ネタバレ感想つまらないところ
現在編の捜査線が中盤で希薄化し、サスペンスの推進力が一時的に落ちる
過去編(桂介の少年期〜青年期)の濃度が圧倒的なぶん、現在編の〈刑事サイド〉が中盤で影を潜める時間帯がある。結果として「名駒のルート」「埋葬の理由」といった捜査サスペンスの火力が下がり、読者の関心が〈過去の悲劇〉へ偏在しがちだ。もちろん終盤で〈二つの時間〉は強固に噛み合うのだが、検索意図「ミステリーとしての起伏」を求める読者には、ここが一瞬「つまらない」と映る可能性がある。サスペンスを期待する視線ほど、現在編の情報提示が薄い章では体感速度が鈍る。
桂介の「天才/破滅」の描写が強烈なゆえに、脇役の感情線が霞む
本作の焦点はあくまで桂介で、東明重慶との「真剣」が物語の黒い太陽だ。その強い磁場の前に、唐沢や刑事たちの内面弧(アーク)がやや薄味に感じられる場面がある。特に読者が「佐野(元奨励会)」の挫折と回復をより深く味わいたい局面で、物語のカメラが即座に桂介へ戻ってしまうため、「群像の呼吸」が浅く見える瞬間がある。
「二歩」への道行きが巧妙すぎて、将棋未経験者には技術的恐怖が伝わりにくい
終盤の「二歩」は将棋ファンには戦慄の顛末だが、将棋の反則体系に馴染みが薄い読者には「なぜそれが致命傷なのか」の心理的ダメージが直感的に届きづらい。説明は文脈内に十分あるものの、〈読みの深さと人間の脆さ〉が反則という一点で短絡的に噴出する構造の異様さは、もう半歩だけ丁寧に橋を渡してもよかった。ここは映像化(ドラマ・漫画)で補強されると爆発的に伝わる類のドラマだ。
【盤上の向日葵】ネタバレ感想面白いところ
「名駒」と「白骨」がつなぐ二つの時間──モチーフの精妙な連結が美しい
初代菊水月という名駒が、過去の〈真剣〉と現在の〈捜査〉を分かちがたく縫い合わせる。駒はただの証拠物件ではない。それは「指す者の魂」を吸い込み受け渡す器であり、勝負の神に触れた人間だけが持ちうる祝福と呪いの結晶だ。名駒を抱いて眠る遺体というイメージは、宗教画にも似た聖性と俗臭の同居で、読後も長く焼きつく。
「向日葵の幻視」と「二歩」の対位法──才能が壊れる瞬間の詩学
偏頭痛ののちに盤上へ咲く向日葵。あの〈幻の一手〉のビジュアルは、才能を神意へ委ねてしまう危うさと恍惚のメタファーだ。だからこそ、最終局でそれが咲かない瞬間、人間・桂介が神の沈黙に独り取り残される。そして落ちるのが「詰み」ではなく「二歩」という人為の傷。〈神の啓示を待つ者〉が〈凡俗の過失〉で倒れるという非情の対位法が、物語を文学へ引き上げる。
東明重慶という“負の光源”──悪徳と慈悲が同居する唯一無二の師像
金にがめつく、人を騙し、最後は「仕事」を請け負うアウトロー。それでも東明は、将棋の場だけは純粋だ。彼が魅せる〈真剣〉は、命を削って盤上へ注ぐ「生の在りか」そのもの。
「なぁ、お前、プロになれよ。お前なら、なれる」
この台詞は、人生の総量を燃やし尽くした男の遺書だ。天木山の「最後の一局」、そして自裁の瞬間に至る呼吸の描写は、犯罪小説の領域を超えて「人間の尊厳」を描き切る。彼が遺体と共に名駒を抱く光景は、罪と赦しの両義をひとつの像に結晶させる。
【盤上の向日葵】読後の考察
〈血〉の呪いと〈選択〉の自由──宿命論を迂回する意志の証明
庸一が吐き捨てる「いかれた血」は、物語の中で〈死への憧れ〉の起源へと繋がる。しかし決定的なのは、桂介が〈死の衝動〉と〈生の居場所〉を「将棋」を媒介にして選び直していることだ。彼は血によって規定されるのではなく、盤上で「読む」たびに未来を更新する。ゆえに「二歩」は宿命に膝を折る敗北ではない。人間が人間であるがゆえの失策を、己の物語として引き受ける瞬間なのだ。
「反則」は断罪か、救済か──倫理と美学の交点としての二歩
タイトル戦での「二歩」は、棋士としての死刑宣告に等しい。しかし物語的には、それが〈罪〉を〈告白〉へ変換する契機になる。東京駅の雪、任意同行の声、そして躍る身体──そこにあるのは逃避ではなく、自分の歩を自分で進める最初で最後の自由だ。反則は終わりではなく、物語を真に「終わらせる」ための通過儀礼として配置されている。
【盤上の向日葵】おすすめ読者
骨太なヒューマンドラマと本格ミステリーの融和を求める読者
犯罪捜査の冷ややかさと、棋士の生き様の熱量が一冊で味わえる。〈名駒〉を介した構図の妙が好きなら刺さる。
「天才の破綻」を文学として浴びたい読者
才能の燃え方と壊れ方、その両方が具体的な手触りで描かれる。「二歩」の瞬間の非情な詩学は必読。
将棋の勝負論を物語で理解したい読者
定跡や手筋の講義ではなく、「読む」とは何か、「指す」とは何かを人間の奥行きで示してくれる。盤上の呼吸がわかる。
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【盤上の向日葵】最終話や結末は
竜昇戦の最終局でまさかの反則負け(二歩)を犯した上条桂介は、誰にも別れを告げず東京駅へ向かう。しかしそこにはすでに埼玉県警が待っていた。天木山で発見された白骨遺体が東明重慶のものと判明し、桂介が死体遺棄の重要参考人となったからだ。刑事たちが任意同行を求めるなか、桂介は雪の舞うホームで静かに立ち尽くす。その表情には恐怖も後悔もなく、ただ長い旅路の終わりを悟った人間の静けさだけがあった。
入線のベル。新幹線が近づく。そして――桂介は身を躍らせた。銀の雪が、彼の視界で満開の向日葵へと変わる。かつて母が愛した花。その幻影を追い続け、運命に抗いながらも、生きる痛みの中で孤独に手を伸ばし続けた男の終着点は、逮捕でも栄光でもなく、「死」だった。
だがそれは逃避ではない。血と暴力と憎悪の連鎖を、自らの死で断ち切る “決断” だった。反則負けで棋士としての人生を失い、最後に人間として自分の一手を選んだ――それが桂介の下
まとめ
「盤上の向日葵」はただの将棋ミステリーではない。殺人事件の真相を追う物語でもなければ、天才棋士の栄光を描く英雄譚でもない。この作品が胸を抉るのは、そこに描かれるものが徹底して“人間の業”だからだ。 上条桂介という男は、救われなかった。どれほど努力しても、どれほど勝ち続けても、彼は生の実感を手にできなかった。母の愛の喪失、父の暴力、奪われた才能、そして狂った血の呪い――彼は常に「生きることとは何か」を見失い続けた。 そんな桂介が最後に選んだのは、勝利でも名誉でもなく“決着”だった。反則負け(二歩)によって棋士としての人生を手放し、東京駅で自らの運命に終止符を打った瞬間、彼は初めて誰にも支配されない「自分の一手」を指したのかもしれない。 人生とは盤上のように読むことができるのか。それとも、どれだけ読んでも届かない不可解な運命に翻弄されるだけなのか。本作はその答えを提示しない。ただ問い続ける――あなたは、どんな一手を生きるのかと。 「面白い」「つまらない」といった単純な評価を超え、読後に胸の奥へ何か重いものを沈めてくる稀有な物語。それが「盤上の向日葵」だ。
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