私の姉の話です。
私とは異母兄弟で15歳離れていて一緒に暮らしたことはありません。
両親が再婚したので異母兄弟です。
なので、一般的な兄弟関係とは非常にかけ離れた感じです。
姉は3歳前に結婚をし子供を授かりました。
その直後頃からメンタルが不安定になり始めました。
姉がうつ病になったのは亭主関白の旦那のせい
育児休暇の時間を使い医療事務の資格を取得し子供が小学校に上がった頃から総合病院で医療事務の仕事を始めました。
旦那は、非常に亭主関白な人です。
しかし、その自尊心の肥大は、家庭内だけでは収まらず職場でもあからさまには表しませんが根底に持っておりプライドも非常に高かった訳です。
また、その反面に忍耐力は全くない。
ですので、取引先からのクレームや自分のミスを誰かにとがめられると内心非常に憤りを感じて
「こんな自分を軽んじる会社でなんて働けるか」
と言う感じで直ぐに仕事を辞めてしまい再就職しても適応出来ない不満があるとすぐ辞めてしまうの繰り返しで現在は、3ヶ月契約の派遣社員として工場勤務で働いています。
3ヶ月先の事は、保証されていないため姉が主にうつ病を抱えながら生活の基盤を支えている状態です。
息子のために死に物狂いで仕事を頑張る
子供が小学校低学年の頃には、亭主もどうにか定職についており、姉のパートの収入もあったために子供には人並みの生活を送らせたいと言う考えで色々な習い事を体験させてアイスホッケーをさせる事になりました。
これが後々に財政を苦しめる理由になります。
最初は、遊びの延長でさせていましたが気づけば県を代表する様な選手に育ち用具や遠征費等々でかなりの出費を強いられました。
結果として高校卒業まで続けて2度国体の選手として選抜されました。
息子が小学校高学年になる頃には、旦那は定職につかず採用されては、数日、数ヶ月でやめると言う負のスパイラルにはいりました。
収入が安定せずに激減して行くのと反比例して息子のホッケーにかかる費用はましてゆきます。
姉は、ろくな収入もないのに旦那からの亭主関白振りや少ない収入での家計のやりくり、そして、せっかく優秀な選手になれた息子のホッケーにかかる費用や教育費等々を全て自分が背負わなくてはならず、不可能なやりくりを可能にする事とうつ病で体調が優れなくても休むと収入が減ってしまうと言う恐怖感を持ち無理やりに仕事や家事を行っていました。
若い医師の軽率な診断でうつ病以外の病名が増えた
正直、明るくて勉強と雑学に長けて真面目な姉がうつ病になったと聞いた時は耳を疑いました。
うつ病は、早期発見で適切な治療を受けれれば半年程あれば社会復帰が可能な疾患です。
しかし、姉の場合は様々な悪条件が重なり適切な治療が受けれなかった様です。
姉は、総合病院の精神科を受診していました。
よく分かっていない若い医師にずっとかかっており診察の度に病名が増えて行くと言う非常に医師の良識を疑う治療を受けていました。
もちろん、病名が増えると言うことは、薬も増えるわけです。
姉は、薬漬けになりながら副作用に悩まされながら仕事を続けていました。
ここでは、うつ病から始まりそれに付随して適応障害・パニック障害・強迫性障害・境界性人格障害と病名が増えました。
精神科の内情を暴露
私は思いますが良識のあるまともな精神科医ならば病名は、最小限にすると思います。
これらの付随された病名も同じくうつ病の症状の一部で説明がつくはずです。
私はここの医者はただ病名をたくさんつけたいだけだと思ったのです。
そんなある日、その総合病院の精神科が事前通告なしに急に閉鎖になることになりました。
やっぱりなという感じでした。
姉のことを考えると私は、「きちんとした治療をしてくれる先生」以外には、かかりたくないので姉の変わりに非常に多くのクリニックを転々としました。
私は、「きちんと治してくれる医師」を求めているので、それが遠かろうが待ち時間が長かろうが交通の便が悪かろうがそんなのどうでも良いことに思っています。
病院の変更で症状が大幅に改善
姉と良い病院を探し出し、診断を受けてみた結果そこで反復性うつ病と診断をされました。
それからもう、10年弱は経つと思いますが最悪だった状態から大きく変貌しました。
体調不良の原因を作った姉の旦那とは離婚し、今は子供と幸せに暮らしているようです。
私も時間がある時は、姉の子育てを応援しています。
心配もするけど、姉が選んだ道を私は全力で応援したいと思います。