宇津井優一の鬱ブログ

うつ病になったらこうなる

将来が不安でうつ病!勉強漬けだった40代独身男の悲惨な体験談! 

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私は子供の頃からあらゆることを母親に制限されており、ほとんど遊ぶこともなく、友だちもほとんどおらず、勉強ばかりしている毎日でした。

それでも父親が他界するまでは将来自動車を設計するエンジニアになりたいという目標を持ち、脇目も振らずに勉学に励んでいたのですが、父親が他界し、母親が「田舎に戻って市役所か県庁に勤めることしか認めない」と強く強制するようになってきてから、心を病みました。

就職活動とうつ病の発症

母親の理解と協力が得られないまま大学院2回生となり、就職活動をすることになりました。

研究室の教授からは大学教員にならないか、とも勧められたのですが、それも母親が反対して破談し、将来を悲観しているうちに意欲低下、不眠、食欲不振などが現れ、大学の診療所の神経科に通い始めました。

しかし、症状の改善は見られませんでした。そうこうしているうちに母親に無理やり公務員試験を受けさせられ、不合格。母親は大学院を中退させようとしましたが、教授の計らいで休学することになりました。

しかし、休学中も症状は改善しません。

また、休学中に再度就職活動をしましたが、面接でうつ病であることがばれるのか、面接を通過できず、内定を1つもとれませんでした。

仕方なく教授のコネで就職しました。

ブラック企業でさらに体調を崩す

しかし、教授のコネで入った会社はとんだブラック企業で、手取り給料は10万円ちょっとしかなく、仕送りと医療費がかさみ、借金しなければ生活できない有り様でした。

まさに、借金をして、それを返すために働いている状態でした。

会社の雰囲気も悪く、上司のパワハラやサービス残業も当たり前でした。

いよいよ体調を崩して出社できなくなり、休職して入院しました。その後、復職を認められずに退職し、それから入院と再就職、短期の退職を繰り返すうちに、うつ病は遷延化していきました。

そして、32歳でフルタイムで働くのをやめて、デイケアに通った後、作業所に通い始めました。

作業所での虚しい日々

障害者が働く作業所は、時給100円程度で軽作業をする福祉事業所です。

どんなに頑張って働いても、小学生の小遣いよりも少ない額の工賃しか稼げません。

また、作業内容は小学生でもできる簡単なものばかりなので、スキルアップをはかることもできません。

そのような中で8年間働きました。

途中、郵便局からスカウトを受け、ゆうパックの区分のアルバイトをしたことがありますが、激務で2年ほどで退職してしまいました。

生活保護で延命している状態

現在私は小説家をしながら、療養生活を送っています。

自分の療養もありますし、妻の介護もありますので、小説執筆などの在宅ワークに割く時間は、週に2時間程度しかありません。

体調は、毎日強烈な疲労感・倦怠感に悩まされ、ちょっと動くのもままなりません。

家事もほとんどできません。

妻の介護や通院の付き添いなどで、自分の時間をとるのも困難です。

1ヶ月の稼ぎは、週に15時間ぐらい働いていた作業所時代を下回っています。

まさに、生活保護がなかったら、もうとっくに医療も受けられず、食料も確保できず、餓死していたところでした。

うつ病は心の風邪なんかではありません。

うつ病は心の癌です。

死にも結びつく重病です。

繰り返しになりますが、うつ病はなかなか治らない一生付き合う病気だと思って覚悟を決めてました。

重度のうつでも前向きな希望を

私はもううつ歴10以上になります。

年も40才を超えました。

何度も絶望の淵でもがき苦しみながらでも、懸命に生きています。

辛くても前へ進まなければいけないと思ったからです。

うつ病と言われて半年で完治する人もいれば、私のように何十年苦しむ人がいるということも知りました。

同じ病気でも環境や生まれ持った性格、治療環境でここまで違うということ。

私は今でも治療中ですが、一番辛かった時期よりはマシだと思うことが出来ています。

以前と比べたら贅沢な暮らしはできませんが、生活保護も受けることができ生きていけてます。

この経験が少しでも誰かの役に立てたら幸いです。

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